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宿所の完成が近づいていた。
迅鷹は赤尾からの襲撃に備え、見張りをふやし、子分らにも気を引きしめるように言い聞かせた。子分らの中には「やられる前にやっちまいやしょう」と血気さかんに訴える者もあったが、慎重派の亮がそれを押しとどめた。
「白城組の台所事情は、子分らが知る必要はないけれども、かなり赤字がかさんでいます。この工事が成功しないと、白城は財布の内側から崩れていきます」
亮が迅鷹にこっそり話しているのを、隼珠は聞いてしまったことがある。
そのときの迅鷹はひどく厳しい表情をしていた。きっと迅鷹も、親分として守りで耐えるのではなく攻めに行きたいのだろう。だが、組がなくなってしまったら元も子もない。迅鷹は決断を先送りにして辛抱を強いられていた。
そして隼珠は、迅鷹がさほど金を所持していないということにも驚いた。自分を三百円の代わりに引き取ったのだから、白城の親分は金には困っていないのだと思っていた。
手持ちの金がないのなら、隼珠を沢口に渡して、落とし前の三百円を受け取ったほうがよかったのに。なのに、売られるのが可哀想だと同情して隼珠を選んだ。義理人情を重んじる親分だとしても、その懐の深さは想像を超えていた。
仇討ちのときはついていきたい。そうして彼のために働きたい。日に日にその想いが強くなる。ほとんど恋情といってよかった。迅鷹の男気に隼珠は心の底から惚れていた。
「隼珠、今日は三橋町の役所に出かけるから、お前も荷物持ちでついてこい」
「へい」
朝食を終えて仕事に向かう準備をしていたら、迅鷹に声をかけられた。
「ついでに牛鍋食わしてやる。お前、食ったことあるか?」
「ないです」
「そうか、なら連れてってやる。ありゃあ、うめえぞ」
隼珠の頭を大きな手でひと撫でしてから帳場に向かう。そこでは帳簿を手に難しい顔で待つ亮がいた。ふたりは真剣な顔で頁を捲りながら何やら打ち合わせを始めた。
隼珠が柱の陰で待っていると、やがて話し終わった亮が書類や帳簿を風呂敷に包んで「じゃあ、いきましょうか」と声をかける。
「おう」
迅鷹は明るく答えた。
「隼珠、いくぞ」
と呼ばれてそばに駆けていく。すると犬っころを迎えるように笑顔でまた頭を撫でられた。
迅鷹自身も気分転換が欲しいのかもしれなかった。ここのところずっと現場はピリピリとした空気が流れている。元々博徒は喧嘩が商売みたいなものだ。真面目な土建業より早く喧嘩をしたくてしょうがないのかもしれない。
亮と三人で人力車にのり、一里ほど離れた役所へ出かける。役所はレンガ造りの二階建てだった。
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