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こんなことがあっていいはずがない。しかし心とは裏腹に、綾を求めてしまうのだ。失いたくないと願ってしまうのだ。とてつもなく愚かで浅ましい。それでも。
「狂ってやるよ。愛のためなら、君のためなら、俺はそれでもかまわない」
「狂う……?」
艶やかに妖しく笑む蒼汰を、綾はじっと見つめる。
「浮世なんて、とっくに狂っているさ。そんな狂った世の中で、皆平気なふりして、平気な顔して生きてんだ」
蒼汰の後ろでまた一つ、花火が上がった。
「人の生なんてあっという間だ。狂いながら生きたって、滴が落ちるほんのいっときさ。ま、死んだら確実に地獄行きだろうけどな」
蒼汰はにっと笑うと、綾に手を差し伸べた。
「もし俺と狂うってんなら、この手を取りな」
綾は唇をきつく引き結んでいたが、やがて決意したように蒼汰の手に手を重ねた。
蒼汰はしっかりと握る。
「江戸を出よう。大丈夫、世渡りは得意なんだ」
「うん……!」
はっきりと綾はうなずき、瞳を上げる。
「私は……もう正気には戻れない。蒼汰さんと一緒なら、狂い続けてもかまわない……!」
「上等だ」
蒼汰は重い秘密を感じさせないほど軽やかに、綾の手を引いた。笑みさえ浮かべてみせる。
その裏に決して消えることのない、罪を隠して。
綾は梓を殺した。
それでもどうしようもなく綾が愛しい。真実を知ってもなお燃え上がるのだ。
人から外れた道だろうが、茨の道だろうがかまわない。この手を決して離さない。
「理解されなくとも、世の中を敵にまわしてもいい。綾、君のためならば俺は、どこまででも狂ってやるよ」
夜空に炸裂して消えていく花火。
残光がゆく道を照らし、二人の影を色濃く落とした。
(了)
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