贄の食卓

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 どこまでも場違いなような気がしたが、一度門をくぐったが最後、ヴィンセント・ラッセルに戻る道などハナから用意されていなかった。素足で歩くのが申し訳ないほど柔らかい絨毯を進み、ヴィンセントは晩餐会の会場を探した。このとてつもなく大きく豪華絢爛な屋敷の中をヴィンセントはひとりで歩きながら、壁に設えられた肖像画や値が張りそうな調度品を視界に捉えた。何十年何百年稼いだとしても手の出せない代物である。触るくらいいいだろうとも考えたが、ヴィンセントは邪な気持ちを追いやり、そして屋敷のほぼ中央にある食堂にたどり着いた。  黄金に彩られた豪奢な扉に触れてもいいのだろうか。ヴィンセントは立ち止まり、周囲を見渡した。これほどの屋敷ならば使用人がいてもおかしくないはずなのに、敷地内に入ったときから、いやもっと前、今宵の晩餐会への招待状を運んできた若い従者のような男を最後に、ヴィンセントは使用人をひとりたりとも見ていなかった。  屋敷に見合うだけの男ならば、来賓である以上、堂々と扉を開けるだろう。恥じる必要はない。だが、今のヴィンセントはこの場にふさわしくないみすぼらしい容姿をしていた。 もじゃもじゃに伸びっぱなしの赤髪は皮脂やほこりがまとわりつき、髭ももう何日も剃っていない。もちろんシャワーなんて贅沢なものは浴びられなく、たまに河で沐浴をするが、それは真冬のロンドンでは難しい話である。着ているものも粗末なぼろ布で、お気に入りのブーツは先日、ついに両足とも底が抜け、とてもじゃないが履けやしない。ホームレスと呼ばれる生活をするようになってから二十年近くが経つ。ヴィンセントの半生はたいがいなものだが、若い頃よりも今のホームレス生活のほうが妙に彼の性に合った。ヴィンセントのもとに謎の晩餐会への招待状が届いたのは、つい二日ほど前のことだった。
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