贄の食卓

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 食堂は薔薇屋敷のほぼ中央にある。ここにたどり着くまでに迷いはしたものの、実際はアプローチから直線に進んだ先にあった。ならば帰りも同じように戻ればいい。そう考えたのが間違いだとヴィンセントは憎らしいほどやわらかい絨毯が敷かれた廊下を三往復して気がついた。完全に迷った。出口がどこにあるのかわからない。いっそ窓から抜け出そうと考えたが、まずは幾重にも入りこんだ廊下から抜け出さないことには話にならなかった。ヴィンセントは息を切らしながらも、怪しげな主人から逃げ出すために懸命に出口を求めて走った。彼が追いかけようとしなかった姿勢が恐ろしい。きっと主人はわかっていたのだ。ヴィンセントがけっして逃げ出せないことを。  ヴィンセントは目に入る扉という扉をすべて開けて中へ飛びこんだが、いつの間にか元いた廊下へ戻ってきてしまう。屋敷の構造がまったく理解できない。混乱と恐怖に押しつぶされそうになり、ヴィンセントは叫んだ。半狂乱になりながらあてもなく走り続け、ようやく見覚えのある場所へたどり着いた。薔薇をモチーフにした印象的なレリーフ。玄関だ。この両開きの扉をくぐればあの男から逃げ出して元の生活に戻れる。歓喜に包まれたヴィンセントは勢いよく扉を開き――そして絶望した。 「おかえり、ヴィンセント」  外に通じるはずの扉の出口は忌まわしき主人が悠然と待ち構える食堂へと繋がっていたのである。 「散歩は楽しかったかい?」 「どうしてあなたが……私は外に出たはずなのに」 「ヴィンセント。この屋敷内で君が自由になれる場所などどこにもないよ。さあ、こちらへ来なさい。食事の最中に席を立つだなんて、まったく君らしくない」 「あなたはいったい何者なのですか? この奇妙な屋敷はどうなっているのです?」  ヴィンセントは膝から崩れ落ちた。理解の範疇を超えた奇怪な出来事の数々に、ヴィンセントは翻弄され、肉体的にも精神的にも大きなダメージを負った。何もかもがわからない。何が正しくて、何が間違っているのか。きっと悪い夢だ。そう思いこむことで自身を納得させようとしたヴィンセントの肩に、薔薇屋敷の主人がそっと手を置いた。
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