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02 - 屋敷の主人、タラマ・ギャレリヤ
「無事でよかったわ。怪我をしていないでしょうね」
屋敷の主人、タラマ・ギャレリヤは深い安堵をにじませて言った。
上品な老婦人といった風情だが、ゴルシュ一帯で手広く商いをしている現役の商人である。
ウーラは主人の手をわずらわせてしまったことを申し訳なく思って、真摯に頭をさげる。
「ご心配をおかけしました。魔獣に追われましたが、さいわい旦那様が手配くださった方に助けていただきました」
タラマは早くに夫を亡くして子供がないので、幼いときからいまは亡き母親とここに住み込んでいるウーラをかわいがっている。
彼女もそれをよくわかっていて、小間使いの自分のために人を使ってまで捜索してくれた主人に深く感謝した。
「あなたはまだ一人前の法術士ではないのだから、無茶な行動は駄目よ」
タラマの言葉に、少女は二人の秀麗すぎる法術士たちを思いだす。
「あのお二方は」
「彼らはたまたまゴルシュに滞在していた法術士なの。ほら、あの容姿でしょう、人づてにわたしの耳にも噂が入っていてね。森で魔属を見たっていう話を聞いて彼らのことを思いだして頼んだというわけ」
老婦人はため息をつく。
「たまたま彼らがいたからよかったものの、この辺りに法術士が常駐していないのは問題ね。ハユルも旅立ってしまったし」
「もともとハユル先生はゴルシュの人ではありませんでしたから。半年も留まってあたしに法術を教えてくださったのも、予定外だとおっしゃってました」
「あなたのためにも新しい法術士を招いてあげたいと思っているのだけど、なかなか応じてくれる人がなくて残念だわ」
「あたしのことは全然気になさらないでください」
ウーラは慌てて手をふった。
たしかに彼女は法術士になりたいからとタラマに頼みこんで許可を得、たまたまゴルシュをおとずれた法術士の弟子になったが、それは法術士になればより主人の役にたてると思ったからだ。
そのために主人の手をわずらわせるなど考えもしないことだった。
彼女の思いをよそに、タラマは企み顔で笑みをみせる。
「あの二人はどうかしら。旅をしていると言っていたけど、長くここに滞在しているみたいだし。あなた、魔属から助けてもらったんでしょう。法術の腕のほうはどうだった?」
「とても強い法力を持っていて、あっという間に魔属を倒してしまいました。もしかしたら〈導師〉なんじゃないでしょうか」
「まあ、本当にそうだったらますます好都合だわ。それにしてもあの若さで導師の称号をもっていて、しかもあの容姿なんて、二人とも色関係は派手そうねえ」
がぜん生き生きしだしたタラマはじゅうぶん若くみえる。
ウーラも同じく思っていただけに大いにうなずきたいところだが、エメラルドの髪の男はともかく、あの怜悧な青年の人並みはずれた美貌では、うかつに異性が近づいていけないような気もする。
不用意に近づいて、その容姿をくらべられる屈辱にはとても耐えられないだろう。
「怪しい出所の流れ者という感じでもないし、あれはけっこういいところの坊かもしれないわよ」
タラマはさすがに商人らしい観察眼を発揮した。
早くに夫を亡くしひとりで商売を大きくしてきた人物だけに、その目は確かだ。
「では彼らに、ゴルシュに留まってもらえるようお願いされるのですか」
「魔属がでてきたんじゃ物騒だしねえ。それに、そのほうがあなたもうれしいんじゃない?」
主人にからかいの目を向けられて、ウーラは頬をわずかに赤らませた。
揶揄の言葉がまったく見当外れというわけでもなかったからだ。
あれほど見目よい青年たちであれば、自分が体験したような劇的な出会いでなくても興味を引かれないほうがおかしいのではないだろうか。
小さい町とはいえタラマの耳にまで噂が届くほどなら、どれだけ目立つ旅人か知れようというものだ。
そのときドアがノックされて、噂の当人たちが現れた。
「ああ、ご苦労様。こちらへ来て一緒にお茶を飲んでちょうだい」
タラマが手招いて二人を座らせた。
「もう紹介はすんだかしら。こちらがアイディーン、そちらがカシュカイというの」
最初にエメラルドの髪の青年を、次に黒髪の青年を示して彼女はウーラに言った。
そういえば名前も知らず、ちゃんと自己紹介もしていなかったのだと気づいて、少女はあらためて頭をさげる。
「先刻は本当にありがとうございました、カシュカイ様。あたしはタラマ様のもとで下女をしているウーラ・セルチェと申します」
「ウーラ嬢に怪我がなくてよかった」
笑みと共に応じたのはアイディーンだ。
カシュカイは聞こえてもいないような無反応さで、かぶったヴェールの陰でひっそりとうつむいている。
「あなた方がこの時期ゴルシュにいてくれたのは本当にさいわいだわ。これまで魔属がでたなんて話は聞いたことがなかったから、法術士がいなくても危機感がなかったの」
タラマの感謝の声にも、答えたのはやはりアイディーンだった。
「さきほど俺たちでもう一度森へ入ってみましたが、まだ何頭かいるようですね。近隣から移動してきたのか、この辺りで発生しているのかはわかりませんが」
「これからずっとこんなことが続くのでは、町の人たちは畑仕事にもでられないわ」
「ええ、町なかは静まりかえっていて、人ひとりみかけませんでした」
「そのことでね、あなたたちに提案があるの」
タラマは少し身体をのりだして青年を見た。
「二人とも旅をしているそうだけど、ゴルシュにとどまってしばらくたつのでしょう。このままここで法術士として働く気はないかしら。ウーラに聞いたけれど、とても強いのですって? もしかして導師の称号をもっているのではないの」
「いえ、ギャレリヤ夫人、俺たちは導師ではありません。ここで働くというのは魅力的なお話ですが、わけあって旅を続けているので、居をかまえるわけにはいかないんです。ゴルシュには骨休めにおとずれたのですが、居心地が良くて少し長居しすぎてしまったようです」
青年は鷹揚に言ったが、確たる意志の強さが垣間見え、流れてこの地にたどりついたといった優柔不断な旅をしてきたのではないことはあきらかだ。
しかし、タラマもすごすごと引きさがったりはしない。
「目的があるというなら、いつかは終わる旅でしょう。その後だってかまわないわよ」
「ずいぶん俺たちを買ってくださるんですね」
「強くて若くて器量よしの法術士なんてそうはいないもの。町の皆も喜ぶし、あなたたちも定住できてお給金ももらえる。いいこと尽くしじゃないの」
「うーん、そうだなぁ」
アイディーンは腕を組んでちょっと考えるそぶりをして隣の青年へ、どうする、と目を向けた。
会話を聞いているのかどうかもさだかでなかった彼は、そこで初めてわずかに身じろいで反応らしい反応をみせたが、目を伏せたまま「御意のままに」とつぶやくとそれきり口を閉ざした。
アイディーンは小さく笑って腕組みを解くと、女主人にゆるりと首をふった。
「ありがたいお話ですが帰る国がありますから。お詫びに、というわけではありませんが、法術士ギルドにはつてがあります。ゴルシュへ派遣してもらえないかかけあってみましょう。魔属が出始めたとなると対策は必要ですから」
「あら、それはありがたいわ。あなたたちが派遣されるのではないのが残念だけれど」
タラマは半ば本気で残念そうだった。
もしかしたら、どちらかの青年とウーラを恋仲にさせようなどと真剣に考えていたのかもしれない。
ウーラとしても、これほど力の強い師のもとで修行ができたら、と期待する気持ちがないわけではなかったので、いささか落胆してしまったのはしかたないことだった。
「それでは、もうすぐにここをお発ちになるのですか」
アイディーンに問うと、応の返事が返ってきた。
「そうだな。これから北へ向かわなければならないんだ」
「北へ……」
少女はそこで、噂を思いだして心配そうな顔を向けた。
「ビジャールより北の国では魔獣が大量発生していると聞いています。お二人は大丈夫と思いますが、お気をつけくださいね」
「魔獣が?」
青年は予想外にいぶかしげな反応を示した。
「ここ最近、突発的な魔獣の大量発生は報告されていない。その話はどこからの情報なんだ」
「情報、というほどのことでもないのですが……つい最近までゴルシュに滞在してあたしに法術を教えてくださっていたハユル・イスケンディル先生という方がおっしゃっていました」
ウーラは少し驚きながらも正直に答えた。
青年は思案をめぐらせる様子をみせる。
「そのイスケンディルという人物は、長くゴルシュにいたんじゃないのか」
「ええ、半年ほどお屋敷の離れに住んでいましたけど、もとはデニズリの人で、法術の勉強かなにかでビジャールへ旅をなさってきたそうです。雑用のついでにゴルシュにいらしたときに、あたしが無理をお願いしてとどまっていただいたんです。よく書簡のやりとりをなさっているのをみかけましたから、故郷のお知り合いから知らされたのかもしれませんね」
「その人は、いまは」
「一月ほど前に帰国されました。故郷でなにかあったとかで、ずいぶん急いで発たれましたよ」
「そうか」
なおも思案顔でアイディーンは言った。
なにか変なことを言っただろうかと少女はその顔をうかがったが、彼はそれ以上は問いただしてこない。
かわりに隣の青年と意味ありげな視線を交わすと、供された紅茶を半分ほども残したまま立ちあがった。
「俺たちはこれでおいとまを。あわただしくお別れする非礼をお許しください」
忙しない行動に反した優雅すぎる礼にタラマとウーラは思わず見入ってしまったが、はたと我に返ると女主人は慌てて席を立った。
「なんだかわからないけれど急なことね。ウーラ! わたしの書斎のものをもってきてちょうだい」
主人の望みに少女も慌てて退室し、いくらもしないうちに小さな皮袋と包みを持って戻ってきた。
タラマはそれを手にとると青年にさしだした。
「少ないけれどお礼なの。受けとってちょうだい。旅を続けるなら先立つものは必要でしょ」
「お心遣いはありがたいのですが、どうかお気になさらず」
アイディーンは笑って辞した。
女主人は納得しがたい顔をしたが、思いたってもうひとつの絹の包みを開くと大人のこぶしほどの塊を青年ににぎらせた。
「これは旅人を災厄から守ってくれるといわれている鉱石でシャーヒンというの。あなたたちの目的が無事果たせますように」
アイディーンは「ありがたくいただきます」と礼を言って受けとった。
それ以上の固辞はタラマに恥をかかせることになるという配慮からだった。
彼女もそれをわかっていて、にこりと笑んだ。
「くれぐれもお気をつけて」
心配性らしい少女の声を背に、二人の青年はゴルシュを発った。
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