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『これは・・・・・・泣くでしょう』 鈴香が、と主語はつけなかったけれど 『うん、まだ彼女は見てないんだが、泣くね』 水口課長はそう言って口の端を上げ、もう一度巻末に戻って弟の名前を指でなぞる。それから顔を上げると、 俺の顔を見てちょっと引いた。 『速水くん?』 や、泣いてないから。 鼻の頭は赤いかもしれないが、それは暖房の切れたこのオフィスが寒い所為だから。 『・・・・あの、どちらの書店で買われたんですか?』 鼻を啜ってそう尋ねた。 もちろん鈴香に買っていくのは俺の役目じゃない。今夜のうちにも課長が彼女の部屋に見せに行くべきだと思う。 俺は、自分が読むために購入したいのだと、どうしても自分で買って読みたいのだと、水口課長を説得して。 自宅の最寄り駅を2つ通り過ぎた駅近くにある書店まで、そのイタリア小説を買いに行ったのだった。 ――― イタリアに、行ってみたい。 最初の数頁で、そう思った。まるで彼の国の風を匂いを感じるような、街のざわめきを聞くような気分に浸りながら、物語を読み進めた。 もちろん作家の描写力だろう。それでも日本人である俺達がその空気感を味わうことができるのは、翻訳者のセンスだと思った。 『・・・・・・・、勿体ない』 水口良隆という若者の、人柄を聞き才能を知り瑞々しさを感じるにつけ。出てくる言葉はそれしかなかった。 翌日の年始回りから戻った午後、水口課長と鈴香がコピー機のスペースで話している姿を目にした。いつもと変わらず、親しげに笑顔を交わしている。 以前は嫉妬すら覚えていた風景だが、今日ばかりは俺の心持ちが違った。なんというか・・・・あの2人が尊いというか、守りたいというか。いつかは俺も加わりたいと密かに願うような――。 『・・・・・・ファンか。ハハ、』 ちょっと笑ったのは、別に自嘲めいた気持ちでもない。 昨夜は夜更かし出来なかったから小説は半分も読めていない。“彼”自身も浸りきっていたであろうあの物語の世界に、今夜も気持ちよく潜り込もう・・・・。 そうして俺は、“彼”――良隆くんが導き入れてくれる風景に遊びながら、冬の幾夜を過ごしたのだった。 『あー、・・・・・・降ってる』 1月も半ば。昼間は陽も差していたのに、駅の階段を上がると結構な雪だった。街灯に照らされ風に舞う白い雪に溜息を吐いてコートの前をあわせる。俯き気味に歩いていると、視界に点滅する赤い灯の列が入ってきた。 あの工事はいつ終わるのかと、この辺の人間は皆が思っていることだろう。
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