ふたりぼっちの夜

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「いや~。松井部長! ほんとーに歌うまいですね!」 「あっはっは。そうかい?」  お酒の好きな松井部長は酔っ払った顔でニコニコ。俺は松井部長に付き合い美味しくもないビールを飲みながら、坂口課長のお世辞に追随した。 「本当に上手いですよねぇ」  更に坂口課長が続ける。 「しかも、声が良いですよね!」 「あっはっは。嬉しいねぇ。坂口君、次は君も歌ってみたまえ」 「とんでもない! 松井部長のあとに歌うなんて! 恥かくだけじゃないですか! それより、次はこの曲歌ってくださいよ!」 「ん~? どれどれ……おお、この歌かー。いいよね? この歌」 「いいですよね。でも自分じゃあ、高音が出なくて! 松井部長、すごく高音出るじゃないですか!」  坂口課長の渾身のヨイショに取引先の松井部長の顔が輝く。歌が得意でカラオケが趣味の松井部長にとって「声がいい」とか「高音が出る」とかは嬉しい褒め言葉らしい。  上手いヨイショがポンポンと、坂口課長の口から飛び出る。  普段の坂口課長は、いつも仏頂面だし、女子社員にすら厳しい注意を平気でする。仕事はできるけど、職場の雰囲気を良くしようなんて気持ちはサラサラないんだろう。男性社員にも女子社員にも部下には容赦がない。ほめて育てるって時代の流れをちょっとは取り入れて欲しいもんだ。  だけど、そんな課長が今は媚びまくり。営業ってそんなもんだってわかっちゃいるけど、かっこいいとは思わない。ヨイショするにしたってもっとスマートに落としたい。 「清水、お前次、歌えよ」  松井部長の歌に感激した表情を作りながら、坂口課長がコソッと耳打ちする。 「分かってるだろうが、部長より上手に歌うなよ」  松井部長が画面を見ている隙だった。坂口課長の顔はもちろんニコリともしていない。冷たい表情だ。 「はい」  俺は心の中で深いため息を漏らし、リモコンを手に取り女性アイドルの盛り上げドンチャンソングをチョイスして入力した。  部長の歌が終わり、盛大な拍手で迎える。もっとスマートにって思っているのに、やってる事は課長と同じな自分にゲンナリする。 「次! 清水、行かせていただきます!」 「おう! 清水イケイケ」
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