第三章

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大学二年の春。 四月二日。僕の誕生日だ。 僕はかつて向夏と見に行った桜がある公園に向かっていた。 約束の場所だった。 公園には仲の良い兄妹が追いかけっこをしていて、それを見守る優しい母が居て、バカみたいに楽しそうに笑い合う花見客がいた。 桜は至る所に立ち並んで、僕はどこに視線を流しても桜の追求からは逃れられなかった。青空には花びらが舞って、芝が生い茂る地面には模様のごとく花弁が落ちている。 僕は思い出深い一本の桜の幹に手を当てて、背中を合わせて寄りかかった。ひらひらと落ちる桜の花びらに手を伸ばし、それを掌の上に乗せた。 高校三年生のクリスマス、向夏が雪を掌に乗せたように。 そろそろ約束の時間だ。僕はビデオカメラを右手に持ち、彼女の笑顔を見るためにレンズを覗いた。 「二十歳の誕生部おめでとう!」 「おお……なんていうか、実感わかないな二十歳って」 「二十歳って色々できるんだよ? お酒だって飲めるし、煙草だって吸えちゃう」 向夏はにひひといたずらっぽく笑う。陽光に繊細な髪が透けて、金糸のように見えた。 二十歳のあれこれを毛頭考えていなかった僕は、その言葉をそのまま向夏に投げ返した。 「向夏は二十歳になったら、お酒飲んで、煙草吸うのか?」 「やや、ないない。うーん、でもわかんないかもね? 君は私がそうなったらどう思う?」 ガキの僕はアンダーグラウンドな事柄と向夏を結びつけることが難しかった。直感的に、嫌だなと思った。それらに向夏の神聖なイメージが崩されてしまうのかと怯えたからだ。 「……僕は嫌かもしれない」 「ふふふ、そう言うと思ったー」 向夏は首を傾げて、幼子をあやすふうに言う。下手したら頭でも撫でだしかねない。 僕がそう言うのを分かっていやがったんだ。 「君の将来の夢は、叶っているかな」 桜が最後の花びらを落とすように、ゆっくりとその台詞を口にした。 ごめん、僕の夢は叶っていない。 父さんのような大人になんて、なれなかったんだ。 今もこうして、ビデオカメラを介さなくちゃ君の顔を直視できない。 動画として世界を認識しないと、人に視線を合わせることもままならない。 何年前からずっと変わらず、停滞し続けているんだ。 大学に受かっても喜びを分かち合う友人は誰一人いない。 くだらないことを話せる知り合いも誰一人いない。
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