第二章

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手袋をつけていない彼女の手に自分の手を伸ばしたいと思うが、僕の右手はビデオカメラを支えるのに使っていて、左手を伸ばそうにも、勇気がでなかった。 僕は伸ばしかけた左手を強引に押しとどめ、毒にも薬にもならない言葉を呟いた。その台詞も、予め決まっていた。 「手袋、プレゼントするよ」 「来年でいいよ。来年。楽しみ」 来年は果たして来るのだろうか。 雪から僕に視線を移した向夏は、ほんのり笑って、そして急に大人びた表情をつくる。 「大学生って、想像つく?」 「いや、まったくつかない」 「きっと立派な大人への道のりなの。高校三年生の君は、もう立派な大人かもしれないけどね」 んなわけあるか。視線恐怖症は回復の兆しはない。社会不適合もいい線いってるよ。 閉口した僕にかまわず、向夏は遠い将来を見つめるように夜空を仰いで言葉を続けた。 「私たちはすぐに大人になる……何があってもならなきゃいけない」 やけに確信の籠もった声は音色になって、僕の耳に届く。 「将来の夢、なんて書いた?」 「文集に載ってるんじゃないか? 僕はたいしたこと書いてないから、まったく覚えてない」 「それじゃあ意味がないじゃない」 「意味?」 「何年も忘れないように想い続けるから意味があるの。たとえ叶わなくても、忘れなければ、意味はあるの」 「ならたとえば向夏は、どんな夢を書いたんだ?」 僕はその夢を知ってるくせに、わざとらしく聞いた。 「お嫁さん」 「……おお」 真剣な表情に思わず言葉にならない間抜けな声しか出せなかった。 「そして君の夢は、お父さんみたいな大人になること」 「なんで覚えてるんだ……恥ずかしいんだけど」 母さんを亡くしても弱さを見せず、前向きでいる父さんに、僕は憧れていたんだと思い出す。 僕が物心つく前に母さんは亡くなってしまっていたから写真でしか存在を知らないけれど、父さんには母さんとの掛け替えのない思い出が溢れるほどあって、そしてその分、悲しくなるのは子供心にも分かっていた。 だから僕は、サッカー選手でも野球選手でも医者でもなく、父さんのようになりたいと強く思っていた。 今は、それさえも忘れていた。
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