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「日本を発つ前に、故郷の思い出を一緒に持って行きたかったんだ。母さんと遊んだ公園、父さんと釣りをした堤防。家族で毎年夏の思い出を作った、この海水浴場。
コスモスはまだ咲いてなかったけど」
あそこの公園はこの時期になるとコスモス祭りが開かれる。母さんと揺れるコスモスの花を腕いっぱいに積んだな。
今はもう遠い記憶だ。
海を胸いっぱいに吸い込む。
波の音が心臓の音にかぶさる。
そういえば妊婦さんのお腹の中にいる赤ん坊は、羊水の海に浸かっているんだよな。
羊水の音を録音しておいて、泣き止まない赤ん坊に聞かせると不思議と寝るんだとか。お母さんのお腹の中にいた時のことを思い出すんだろうか。
その音は、波の音に似ているって誰かが言っていた。
だからこんなに、海に還りたいと思ってしまうんだろうか。
「お願いがあります。私にもこの動画下さい」
え?
驚く僕に持っていたスマホを押し付ける。
「ちょっと待ってて」
砂を蹴散らしながら、彼女が駆け上がっていく。
僕は新聞紙を片付ける。
そろそろ電車の時間だ。
名残惜しいが行かなければ。
空を見上げれば、さっきのグライダーが、セスナを切り離して飛んでいる。
風と雲の間を静かに、静かに伸びていく。
雲の上に隠れた。
大丈夫だろうか。
気が付けばスマホを向けている。
撮りたい被写体は小さすぎてうまく映らないだろう。
分かっていても撮っておきたい。
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