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現に、佐々木のバイト先である『綾瀬探偵事務所』は、相変わらずの大不況だ。
それでも、時々入っている依頼がとにかく「訳あり物件」で、解決すると意外と高収入だったりするものだから、それでどうにか自転車操業でやっている。
経営にまで口を出す気はないが、佐々木としてはもう少し安心して勤めたいものだが……。
「出勤したら、事務所が閉まって所長が夜逃げしてるかもしれないと思うと、マジで安らげねぇっつーの」
独り愚痴りながら、佐々木は脱衣場に置かれている竹籠を引き寄せ、身に着けていた浴衣を脱ごうとした。
しかし、その手がピタリと止まる。
あきらかに、怪しい動きをしている男がいたからだ。
男は、しきりに浴場の方を気にしながら、何やらスポーツドリンクらしきペットボトルを、他人の衣類の入った竹籠へ忍ばせようとしている。男は浴衣をしっかりと着ていたので、その竹籠の衣類が他人の物だというのは一見して分かった。
(なにやってんだ…?)
「おいっ」
――ビクッ!
佐々木の声に、怪しい動きをしていた男は、目で見て分かるくらい飛び上がった。
(なんだ?こいつ?)
露骨に不審な男に、佐々木は凍り付くような声で言い放つ。
「お前、ドロボーか?」
「ちっ…違う!」
「じゃあ、なんだよ?」
「僕は…その…ちょっと、これは間違っただけだ!」
言い訳にもならないような事を喋り、男は後ずさる。
男は、佐々木よりも少し年下の二十代前半のようだ。
小動物のような、黒目がちの瞳が可愛いといえば可愛い。容姿はまず整っている方だろうが、他は、これといって特徴のない顔をしている。
そして、今や、その顔色は蒼白だった。
しかも、ガタガタとあからさまに震えている。
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