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「所長!商店街の福引で、温泉宿泊ペアが当たりましたよ!」  扉を開けるや否や開口一番、高らかに声を張り上げて佐々木が迫ってきた。 「慰安旅行、これで行けますね!」 「…慰安旅行~?」  胡乱(うろん)な眼差しで、所長と呼ばれた男は新聞から顔を上げた。 「って、この『綾瀬探偵事務所』の事をおっしゃっているワケですかい?」 「もちろん、そうです!ペアですよ、ペア!オレたち丁度二人しかいないんですから、ピッタリじゃないですかぁ」  そう、この綾瀬探偵事務所は、所長の綾瀬と、バイト兼見習いの佐々木二人だけの探偵事務所だった。  嘆息しながら、綾瀬は気乗りしない様子で口を開く。 「……オレはパスするよ。まさか、この事務所を無人にするワケにはいかないだろ」 「ど~せ、客なんか来ないですよ。今月ずっとヒマじゃないですか」 「…お前、痛いところを突いてくるよな…」  裏通りの寂れたビルの四階にひっそりと構える探偵事務所など、滅多に訪れる人はいない。とくに、今月は散々たる有様で、まだ一件も依頼が入っていなかった。 (――夏だからかな…こんなクソ暑い中、ビルの照り返しのキツイ道中をここまで歩いてくる客はいないか…)     最寄りの駅から(超駆け足で)歩いて三十分。  オレなら、駅近の大手探偵事務所の方に行くね。  自嘲気味に笑い、綾瀬はテーブルの上のタバコへ手を伸ばした。 「……慰安旅行、ねぇ~」 「行きましょうよ!」 「今、夏だぞ?温泉ってお前…」  文句を言い掛けた綾瀬の先に回り、佐々木はマシンガンのように喋る。 「オレがここでバイトを始めて三年ですよ?その間、福利厚生の一環で慰安旅行へ行きましょうって何度も話を出していましたよね?そりゃ、こんな個人事業でそんな事を言うのもヘンかもしれませんし、法的拘束力もありませんが、オレ、ずっと交通費も自腹なんで
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