第1章

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       1    ――パタパタパタパタパタパタパタパタ――  けたたましいスリッパの音を廊下中に響かせながら、一人の女子生徒が教室に飛び込んできた。 「おっはよー。40勝12敗ねっ」  どうやら、3年生になってから遅刻しなかった回数の星取りをしているようだ。遅刻した回数の方は公表しなくてもよいと思うのだが…… 『星野静』  栃木県日光市鬼怒川温泉にある温泉旅館『華なりの宿しずか』の一人娘。17歳。身長165センチメートル、スリーサイズは非公開だが、やや細身ですらっとしたモデルのような体型。  現役の高校生にして、明治時代から続く歴史ある温泉旅館の女将。  腰のあたりまであるストレートの髪は、紫に艶めく烏の濡れ羽色。透けるような白い肌、切れ長の目には吸い込まれそうな漆黒の大きな瞳。薄っすらと薄紅のグロスを塗った唇は薔薇の蕾のよう。  女将の時は和服を着熟しており、その立ち居振る舞いは『立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花』の如しで、お淑やかにしてさえいれば、それこそ旅館の名のとおり、華なりの日本人形のような美人女将だ。……と、恐らくクラスの生徒全員がそう思っている。事実、地元局のテレビ栃木に『現役高校生美人女将の宿』という特番を組まれて、たちまち、女将目当ての宿泊予約が殺到したほどだ。華なりとは、京言葉で『はんなり』とも言い、落ち着いた華やかさがあり上品で明るく陽気な様を表わす。  静は、毎朝、限り限りまで宿泊客のお見送りをし、それから一度自宅に寄って制服に着替えてくるので、学校では遅刻常習犯のレッテルを貼られているが、本人は、学業よりも女将業を本業と考えているらしく、そんなことは微塵も気にしていない様子だ。  そもそも、学校指定のスリッパは走り難くするためのもので、敢えて廊下を走ろうものなら、パタパタとうるさいことこの上ない。加えて、廊下にはあちこちに『狭い日本 そんなに急いでどこへ行く?』と書かれた張り紙がしてある。――が、そんなことはお構いなしの高校生美人女将が、机にかばんを投げ置き、席に着いたタイミングで、ホームルームのチャイムが鳴った。  静は、席に着くなり右隣の席の女子生徒と一言二言会話していたが、急に思い出したように席を立って、窓側の列の一人の男子生徒の席に一直線に向かっていった。 「誠志朗、持ってきた?」 「……」
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