第1章

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 隠すように無言で1冊のノートを渡す男子生徒。 『阿久津誠志朗』  鬼怒川温泉の外れにある『恋し屋豆腐店』の若旦那。18歳。身長175センチメートル、スリーサイズは知る必要もないが、太っている訳ではない。  誠志朗は、今朝、華なりの宿しずかに豆腐の配達をした際に、静の忘れ物を父親から預かってきたのだ。 「ありがたいなら芋虫くじら!」  静は、誠志朗にお礼を言ったつもりなのだが、 「……はあー?」  誠志朗にその気持ちは伝わらなかったようだ。 『ありがたい=アリが鯛』、『アリが鯛くらいなら、さしずめ芋虫は鯨くらいだ』という意味の江戸時代からある『付け足し言葉』だ。以前、静が、旅館に宿泊した外国人観光客から教えてもらったと言っていた。どうでもいいが、外国人に日本語を教えてもらわないで欲しいと誠志朗は思った。  誠志朗の反応などまったく気にしていない静は、自分の席に戻ると、受け取ったノートを右隣の席の女子生徒に手渡した。 「常磐、ノートありがとねっ」 「……どういたしまして。でも、このノートどこから……???」 「……なっ、あのバカっ」  誠志朗の口から思わず言葉が漏れた。 「旅館に忘れちゃって、誠志朗に持ってきてもらったのよ」  静が止めを刺す。折角、誠志朗が、ノートの持ち主に気付かれないようにと気を遣ったつもりだったのに……  その女子生徒は、誠志朗と目が合うと、ちょっと恥ずかしそうに小さく手を振った。  『湯澤常盤』  鬼怒川温泉最大級の温泉ホテル『きぬやホテル』の一人娘。17歳。  客室数500、最大収容人数2,000名。館内施設は大小宴会場が20、大浴場が10と屋上露天風呂と岩盤浴に温水プール、直営のレストランと寿司バーにバーラウンジ、アロマとエステにネイルサロン、カラオケルームとプチシアターに大手コンビニまである地域一番店。付け加えると、関連会社でスキー場と観光ロープウェーと鬼怒川船下りと高速道路のサービスエリアも経営している。  常磐と誠志朗は、幼なじみで家が近所だったこともあって、小学校の低学年の頃までは放課後も一緒に遊んでいた仲だ。  小学校4年生の時、常磐の両親が宇都宮市に自宅を移し引っ越したので、中学校は別々になってしまったが、高校で再会することとなった。
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