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『フレディ・マーキュリーになりたい』 サトルが学校から持って帰ってきた作文を要約するとそういうことになる。 「フレディみたいな、すごいエンターテイナーってこと?」 「ちがう。フレディ・マーキュリーになるの」 サトルはテレビを観ながらポテトサラダを食べていた。いつも通り食べるのは遅い。少し箸でつまんでは口に運び、充分すぎるほどの咀嚼を経て飲み込む。テレビでは昨日、フロリダに落っこちた人工衛星のニュースが流れていた。「今年雨の少なかったフロリダには、雨の代わりに人工衛星が降ってきた」とコメンテーターが笑った。 「フレディになるって言ってもなあ……。どうやって」 つい1時間前の決心が揺れつつある。サトルの夢はどんなものであっても応援したい。しかし、小学3年生にもなって、実在する(した)自分以外の人間になりたいと言われると困る。きかんしゃトーマスよりはマシかもしれないが。2010年代生まれの子供がフレディ・マーキュリーを知っていることに担任は驚いただろう。もしかしたら、あの新採の教員が知らないかもしれない。ましてや「なりたい」と。どういう気持ちで“はなまる”をつけたのだろう。たしかに作文自体の出来は良かった。まずはそのことを褒めるべきだったか。 フレディ・マーキュリー。伝説的ロックバンド、クイーンのボーカル。死んで30年は経つ。フレディ好きは親子3代続くものだった。私の父は大のロック好きで、幼い頃からレコードを聞かされた。CDが当たり前の時代に。再生するメディアこそ変わったが、サトルもフレディを母親の腹の中にいる頃から聴いていた。胎教というより洗脳に近いそれは成功し、めでたく“三代目”に襲名した。今や私より詳しい。意味を解っているのか定かではないが、英語の歌詞を諳んじる。
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