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―何とも思っていないのかな…―
それもそうかもしれない。
記憶に残っているほどの何かがあった訳でもないのだから。
やっぱり、あの時の事も全て無かったことにしたいと思っているのかもしれない…。
これまでの色々なことが一気に思い出され、頭の中がパニックになってきた。
―ど、どうしよう…。―
どんな風にしたらいいのかわからないのに、一歩一歩近づいて来る河野さんを見ていると、逢えたことに喜びさえ感じている。
「江崎さんおはようございます。朝早くからお疲れ様です」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「受付は済ませましたか?」
「いえ、これからです」
「そうですか、じゃあちょっと待っていてください」
初めて電話で話した時と同じ淡々とした口調で言い残し、受付に向かう河野さんの姿を目で追いながら、ギュっと胸の奥が苦しくなった。
知りたい。
なにを思っているのか、知りたい。
「受付に通してきたので、行きましょうか」
「あ、ありがとうございます」
上りのエレベーターに二人きりなことも同じ。
ただただ黙って乗り合わせているのも同じ。
でも、そう思っているのは私だけなのだろう。
「…驚きました」
「え?」
「初めて逢ったときと同じで…さっきの…」
―ドキン…!
気づいていたんだ…―
「私も、思いました」
思わぬ言葉に嬉しくて顔を上げた。
河野さんの口調も表情もなにも変わらないけど、目元だけは少し笑っている気がして、完全に拒否されてるわけではなさそうだと思えホッとした。
「…」
──ポーン……
河野さんが何かいいかけたような気がしたが、エレベーターが止まり、それ以上はなにも言わなかった。
「ここの営業と接点あるのは、伊藤さんだけですか?」
「そうですね」
「わかりました。この時間ならみんな揃ってますから、顔合わせもスムーズにできますよ。まあ、ちょっとクセ強めな人が多いですけど、頑張ってください」
―ええ?…頑張ってって、どういうこと?―
「わ…わかりました!が…頑張ります」
どんな人達なんだろう?緊張してきた。
「あ…ごめん、変に緊張させちゃったかな?みんな根はいい人だから大丈夫ですよ。テンション高いけど合わせることないし」
「関西人のノリってやつですか?」
「そうだね。そんなとこかな。心配しなくて大丈夫ですよ、側に付いてますから」
フッと口角を上げてほんの少しだけ笑った。
何度も見た、何度でも見たいと思ってしまうあの笑顔が、やっと…やっと…見られた。
ああ、やっぱり好きだな…。
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