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この香りも、感覚も全て覚えている。
速見さんの腕の中にしっかりと包み込まれている。
あの時は驚きでいっぱいだった。
今は戸惑いの方が大きいのに、この腕の中から抜け出すこともできるのに、どうして…。
どうして、そうしない?
「美紗…」
―…ッ―
名前を呼ぶ声とわずかに動いた速見さんの腕にハッとした。
「…はい?」
顔を上げることができず、俯いたまま返事を絞り出すと、フッと体が軽くなって視界が開けた。
「我慢してたんだけど、やっぱり衝動を押さえきれなかった」
「・・・」
朝言われたことを思い出して、また何も言えず真っ赤になって固まってしまった。
そんな相変わらずの私の態度にも、速見さんはにこりと優しく微笑んで、私の乱れた髪をそっと整えている。
―ドキンッドキン…―
「来週はセミナーだよね」
「はい」
―ズキッ―
速見さんにとっては、何てことはない一言だろうが、ひどく胸が痛んだ。
「あの…じゃあまた来週…。ありがとうございました。おやすみなさい」
「うん、また来週。おやすみ」
どう処理したらいいのかわからない感情のまま一緒にいることが、偽りのように思えてきて、居たたまれななくなってきた。
逃げ出すような気分で後部座席の荷物を取ろうとしたら、先に速見さんが後ろを振り返り荷物を取ってくれていた。
「「…!」」
さすがに速見さんも予想外の近さに驚いた様子を見せた。
が、すぐにふっと綺麗に微笑み、そっと私の頬に手をふれた。
いつもとは違う、色気を含んだ笑みで。
「好きだ…」
―…んっ!?―
頭が…真っ白になった。
速見さんの手が私のあごを固定し、唇にしっかりと感じる感触は、速見さんのもので…。
まるでスロー映像を見ているかのように、綺麗な顔がゆっくりと離れ、ギュッと抱きしめられた。
「ど…うし…」
「ごめん、何もしないって言ったのに。どうしても美紗を惹きとどめたかった…。ごめん」
“どうして…”と、そう言ったと思ったのだろう、そんな切なそうに消え入りそうな顔で声で謝らないで…。
涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、謝らないでと首を振る。
ゴメンナサイ…。
私の方が謝らなきゃいけないの。
どう…し…たら
真っ先に浮かんだのは、出てきた言葉は違うものを指していたのだから。
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