第12話「兎月の異常性」

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第12話「兎月の異常性」

 現子(うつつこ)が夕御飯の準備をしている。オムライスとワカメスープ。  ビーフシチューでの一件で恍惚感を得て以来、スープの中に血を入れたい衝動に駆られるが、指には生々しい絆創膏がまだ残っている。  さすがにリスカすると料理中のアクシデントで誤魔化しきることは出来ないから、留まる。  現子は不満からタメ息を漏らした。  ――僕が好きなのは僕の中の理想であって、本人じゃない。  先日の兎月(とげつ)の言葉が、現子の頭の中を()ぎっては去っていった。  それは何だかんだと理由をつけて、結局人を好きになることから逃げているだけではないのか?  兎月は女性に対して理想を持ちすぎているのかもしれない。  玄関の扉が開いて、今度は閉まる音がして、廊下を歩いてくる聞き慣れた足音に耳を傾けながら、現子が夕食を支度する。  「ただいま」と兎月がリビングに入ってくると、「お帰り」と現子が迎える。  野々宮(ののみや)家のいつもの夕暮れの風景である。が、今日はそんな安穏(あんのん)とは無縁の日らしい。 「おかえりぃぃぃぃい?」  現子が引っくり返って裏返った声音をあげた。  兎月の後ろに(しおり)さんが背後霊のように立っていたからだ。 「兎月、なんてものを家の中に連れ込んでいるの!」 「失礼しちゃうわね。人を悪霊みたいに言わないでくれる?」 「同じようなものでしょ!」 「静さん? 何で家に?」  兎月は学校から帰宅するこの瞬間まで、静さんの存在に本気で気がつかなかった。ずっと一人でいると思っていたのだ。 「学校から兎月の後を付けて来たんだけど、気がつかなかった?」  静さんは頬を紅潮させながらピースサインを細い二本の指で作って見せた。  自分の尾行の完璧さを自賛しているというよりも、経緯はどうあれ野々宮家にお邪魔できたことが単純に嬉しいらしい。 「不法侵入! これは完全に不法侵入だわ!」  騒ぐ現子を後目(しりめ)に、静さんはしなやかな足運びで歩を進める。 「そんなことより兎月のご両親は何処かしら? ご挨拶したいのだけれど」  兎月と現子は顔を見合わせた。  野々宮家の家庭の事情は少し複雑なのだ。どう説明したらいいのか困る。  父は仕事の都合で家に帰ることは珍しく、母は仕事だか旅行だかで海外へ行っている。  基本、家には兎月と現子しか居ないことを説明すると静さんは固まってしまった。  造形が整っているだけに、まるで球体間接人形のようである。 「そういえばお母さん、近々帰ってくるって連絡あったよ」 「霧花(きりか)さんが? いつ?」 「だから、近々……」  現子が首を横に振る。あまり信用出来ない一報らしい。  野々宮 霧花は現子の実母であり、兎月の義母である。 「なんてことなの。私が危惧していた通り、二人は一つ屋根の下で本当に二人っきりで、如何(いかが)わしい生活を送っていたのね」  静さんが膝をついて肩を落とし、大袈裟に嘆いてみせた。  その動作はなんだか妙に芝居がかっていて、少し滑稽にも見える。 「別に僕らは如何わしくなんてないよ。静さん」 「そうよ! ごく普通に兄妹してるんだから! 普通に!」  兎月と現子の訂正の声も、耳に届いているかどうか疑わしい。 「私としたことが迂闊だったわ。この小説はR18にするべきよ」  などと訳の分からないことを口走っている。 「それより私たち、そろそろ晩御飯なんで帰ってくれない?」  現子にとって静さんは飽くまで邪魔者だ。 「ショックでお腹が空いて歩けない……」  やはり芝居がかっている。静さんがこんな態度を取ること自体、兎月にはとても意外で新鮮だった。 「御飯に呼ばれてく……」 「悪いけどフランスパンは切らしてて」  現子は単純に呆れている様子だ。 「妹さん、私がフランスパンしか食べないとでも思っているの?」 「違うの?」  普段クールなだけに、静さんの子供のような言動が兎月にはなんだか可笑しくて、微笑ましささえ感じられた。  兎月はおそらく、その大人びた容姿から無意識に静さんを年上として見ている。  だからいつも「静さん」と、さん(・・)付けで呼ぶのだ。  外見が大人っぽく見えても、当たり前だが中身は同じ高校二年生なのだと実感できる。  これが現子が言っていた、「知らない部分を知っていく」ということなのかもしれないと思った。 「いいよ。静さんも食べていきなよ」 「でも二人分しか用意していないわよ」 「僕のを半分、静さんに分けるから」  この前、静さんのマンションへ行ったときに彼女の食生活を垣間見た気がして、兎月は心配になったのだ。 「兎月は優しい。妹は鬼だけど……」 「分かったわよ。三人分作ればいいんでしょう!」  現子は「今回だけだからね」と念を押して調理を始めた。  暫くして三人分のオムライスとワカメスープがテーブルの上の載る。 「……おこちゃま料理ね」  静さんがオムライスを見て素っ気無く呟く。 「食べなくてもいいのよ? 招かれざるお客さん。それにオムライスは兎月の好物なんだからね」 「兎月ったら、子供みたいで可愛い」  オムライスを見てクスリと微笑む。  三人で手を合わせて「いただきます」を言う。  静さんはスプーンで(すく)ったオムライスをマジマジと見たり、匂いをかいだりしている。 「何しているの?」  現子が静さんに不審な視線を向ける。 「何か如何わしいものが入っているかと思って」 「失礼ね! 夜須女(あなた)相手にそんなことしないわよ!」 「あなた相手に?」  焦りの浮かんだ顔色と指の絆創膏を見比べながら、静さんが(いぶか)しそうな表情を現子に向けた。 「普通に兄妹している……ねぇ」  静さんがスプーンにオムライスを乗せて兎月の口へと持っていく。 「兎月、あーん」 「何やってるのよ変態!」 「変態は妹さんの方でしょう?」 「何の話?」  兎月には二人の会話のやり取りの意味が分からない。 「ううん。こっちの話。そんなことより、あーんして」 「自分で食べるし、恥ずかしいんですけど……」  楽しそうな静さんには申し訳ないが、さすがに羞恥心が勝る。  無さそうに見えて、兎月にも人並みに感情があるのだ。 「一回だけ。一度だけでいいから」 「何か嫌な頼み方ね」  私の邪魔はしないほうがいい。と、静さんは現子に目で釘を刺した。  結局、一度だけということで、静さんのスプーンに乗ったオムライスが根負けした兎月の口に入る。 「どう? マズイ? 不味いでしょ?」  にこやかな笑顔で味に文句をつける。  現子は何も言えずに、静さんの勘の鋭さに歯軋りした。 「そういえば今日、和華(わか)から清掃ボランティアに誘われたんだけど」  気恥ずかしさから兎月は話題を変えた。 「兎月、まだ諦めていなかったの?」  静さんがため息をつく。兎月には和華に関わって欲しくない。 「迷っているんだよね」 「いいじゃない。清掃ボランティア。大変そうだけど良いことよ」  現子としては、取り敢えず何でもいいから兎月には学校行事に積極的に参加して欲しい。  他人と関わることで、独りよがりな考え方も変わるかもしれない。 「現子は参加しないの?」 「私はどこぞのヘタレと違って、この家の家事全般やっているんですけど」 「そうでした。すいません」  今度は静さんが唇を噛む番だった。  どういうわけか、現子は和華と兎月が仲良くすることに肯定的らしい。 「兎月、舞泉(まいいずみ)さんに誘われたから参加するの?」  静さんが不満そうに口を尖らせる。そういった行為も愛嬌になってしまうのは、得なのか損なのか。 「そういうわけではないけれど、そういうことになるのかな……」  感情の乗らない声で、淡々と否定と肯定をする。  和華に誘われたからというよりも、彼女自身の本質に近づいてみたい。  今回は、その良い機会であるのかもしれない。  そろそろ自分の中の和華を殺してみるのも一興だと兎月は思った。
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