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第17話「雲と飛行船……それと何か」
今日の静さんは、教室で兎月に対して過度に話しかけてこない。
いつもは授業のことから、好きな本や音楽など趣味のこと、果ては天気や星座、今朝見た夢の話に至るまで、他愛の無いあらゆる話題で話しかけては兎月を困らせて楽しんでいるのだ。
それが授業中に話しかけてくることも無く、休み時間には詰まらなさそうに携帯を弄っている。
兎月が静さんと出会った頃に戻った感じだ。
テストも近いし、余計な気を使うことなく普通に授業を受けられるのは助かる。
それでも人というのは勝手なもので、こうなると兎月はどこか物足りなさも感じてしまうのだった。
授業中、隣には静かにノートを取る静さんの整った横顔がある。
美少女だと思った。
高校生にしては仕草も言葉使いも大人っぽく、だが決して背伸びをしているという不自然さが無い。
自然体で少女と大人の境目に立っている。
そんな彼女が校内の男子に人気があるのは頷ける話だった。
兎月と一緒のときのように、もっと花が咲くような愛想があれば同性の友達だって多くいたかもしれない。
兎月は静さんが一人でないところを見たことが無かった。
いろいろあって、ともかく兎月は静さんと付き合うことになった。否、一緒に居ることをお互いが容認することになったというべきなのかもしれない。
静さんには静さんの思惑があるように、兎月にも個人的な理由がある。
だからこそ、一緒に居ることにしたのだ。
兎月は自分の嘘が、ある程度は静さんに見抜かれていると思っている。
彼女は鋭い。なればこそ、味方であって欲しい。
少なくとも彼女と付き合っているフリをしてさえいれば、誰も自分の不自然さに気がつく者はいないだろう。
でなければ、この関係には何の意味も無い。
そういえば――。
兎月には些細な疑問があった。
静さんは自分の何処を気に入ったのだろうか。
顔が好きと言っていたけれど、そろそろこの顔も見慣れてきた頃合いではないだろうか。
それでも一緒に居るということは、兎月の内面的な魅力も見つけ出しているのかもしれない。
あとで聞いてみようと思った。
お昼は一緒に食べようということで、二人は屋上に出た。
静さんが現子の有無を確認してから、日陰を見つけて二人はお弁当を広げる。
誰も居ない場所でお昼というのは、なんだか互いの関係を学校中の皆に内緒にしているようでスリルがあった。
兎月は現子が作ってくれたお弁当だが、静さんはバランス栄養食のブロックとブラックコーヒーである。
静さんの食に対する興味は最早シンプルを通り越えて、何か食べないと生命活動を維持できないから仕方なく食べる。という領域である。
兎月が自分のお弁当のオカズを勧めてみても、静さんは首を横に振るだけ。
無神経だったかもしれない。
「教室では話しかけない方針に戻したの?」
「自重することにしたの。兎月、迷惑してたでしょう?」
二人の精神年齢を比べれば、兎月よりも静さんのほうがアンバランスなほど圧倒的に高い。
まるで弟を溺愛する姉のような位置関係だ。
「妹さんに私たちのこと話していないのね」
静さんは不満そうに、栄養調性されたショートブレッドに形の良い小さな歯型を付けた。
「それで怒って今朝、僕らを置いて行っちゃったんだ」
それも理由の一つだったから否定はしない。
それより、兎月は目立つことを嫌う。
静さんはそのことを知っているから気を使っただけのことだった。
自分と一緒に登校なんてしたら、目立ってしまうのは避けられない。
自惚れているわけではなく、客観的な視点で校内における自分の立場を理解している。
「静さんは僕らのことを現子に話したほうがいい?」
兎月は時々意地悪だ。そんなところも実は気に入っている静さんも、大概な性格をしている。
「あの妹さんには話しておいたほうがいいと思うけど」
静さんは兎月が特に自分を好きというわけではないということも、充分承知している。
付き合うことになったのも兎月から望んだ関係ではなく、自分の一方的な願望を押し付けたカタチ。
歪なカタチの関係だ。
それでもキスに反応したのだから、独りよがりな関係ではないと信じている。否、信じたい。
「一応改めて聞くけど、もしかしなくても僕ら付き合っているんだよねぇ……」
「前々回のお話しをよく読み返してみるのね。因みにアレ、私のファーストキスだから」
照れ隠しに視線を兎月から遠くへ逸らす。
空に雲と飛行船…………それと何か。
「僕もだけど」
「うん。知ってる」
静さんは何でも知っている。
「僕の顔が好きって言ったの覚えてる?」
「今でも好きよ」
「じゃあさ、僕の顔以外に好きなところってある?」
「兎月の顔以外で好きなところ……」
細い顎に、より細く長い指を当てて考え込む。
「線の細い体型……とか?」
「いや、外見的ではなくて内面的に」
「内面的…………」
暫く考え込む。さらに黙ったまま時が過ぎる。
「そういえば私、飛行船って久しぶりに見たわ」
「ああ、うん。そうだね…………」
落胆して昼休みが終わる。
兎月が帰宅したとき、現子は既に帰っていて夕食の用意をしていた。
さっきから兎月はキッチンとダイニングの間を、何をするでもなく行ったり来たりを繰り返している。
どのタイミングで現子に静さんとの関係を話すべきか機会を窺っているのだ。
現子はなんというか、静さんに妙な対抗意識のようなものを持っていて、嫌っているような節さえ見て取れる。
加えて今朝、静さんが現子を煽ったものだから、話すのに抵抗があることは確かだった。
それに静さんと付き合っているということをいちいち家族に、それも妹に報告するのも妙な話だと思うのだ。
「どうしたの? 兎月」
夕御飯が出来たのならまだしも、食事の支度中に兎月がキッチン周りに居るのは珍しい。
「いや。何か手伝うことないかなと思って……」
「それじゃ、もう出来るからお皿を持って行ってくれる?」
今夜はスパゲッティのようで、兎月は棚からパスタ皿やフォークを取り出す。
「そろそろトマトの旬も終わるからね。今夜はトマトメインの料理」
なんだか機嫌がいいように見える。話すなら今なのかもしれない。
「あのさ。僕が静さんと付き合うことになったら、現子は驚く?」
「んー? 驚くというか……殺すわね」
「………………」
普通に物騒な返事が義妹の口から出たのが予想外で、兎月は返答に詰まった。
対象はどっちだろうか。どちらも殺すのだろうか。
何れにしても笑えない冗談だ。
「なに? もしかして、夜須女 静と付き合ってるの?」
現子が調理中の包丁を持って兎月に迫る。
やっぱり殺されるのは、兎月のほうらしい。それはまぁ、そうですよね。
「いや、でも意外だな。二人は反目しつつも仲が良いと思っていたから」
現子が静さんに対してそこそこ寛容に見えるのは、兎月の前だからである。
誰だって好きな人には、自分のドロドロした感情を見せたくはない。
「冗談言ってないで、冷めないうちに食べましょ」
トマトたっぷりのナポリタンから、湯気がとうとうと立って食欲をそそる。
他にも焼いた空豆、茄子とトマトの肉味噌重ね焼きなどが夕餉のテーブルを彩っている。
現子がエプロンを外してテーブルの席に着く。
食事をするとき、いつも二人は差し向かいだ。
「現子ってコンタクトとか興味ないの? 眼鏡外すとけっこう可愛い顔してるのに」
ご機嫌を取ってみるが、「それはどうも」と薄い反応が返ってきただけだった。
とても静さんのことを言える雰囲気ではない。
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