第19話「短距離ランナーの孤独のような気分」

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第19話「短距離ランナーの孤独のような気分」

 たっぷり三分は走り続けただろうか。いや、走らされたというべきか。  果てに二人は公園のベンチに座って一息ついていた。  全力疾走とはいかないまでも、ジョギングといった軽い走りでもなかったので、(しおり)さんの息は完全に上がってしまっていた。  一方で女性のほうは息一つ乱れた様子がない。  静さんは走るという行為自体が嫌いなので、一難去ってまた一難という心境である。  今日は厄日なのかもしれない。  それにしても、見覚えの無い公園だった。  遊具施設など無い本格的なもので、緻密に維持された芝生の広場や遊歩道には青葉茂れる樹木の数々、本格的なウォーキングコースなどがある。  市民の憩いの場という文句がピッタリはまるような空間。  こんな広い公園が、おそらくは兎月(とげつ)の家の近くにあるなんて静さんは知らなかった。  この辺には二回程来ただけだから、少し道を外れると街の様子が初めて訪れたような空気と景色に変わってしまう。 「災難だったわねー」  女性の見目(みめ)は二十歳そこそこといったふうで、二人が並ぶと同い年に見える。  これは静さんが高校生にしては大人っぽい容姿をしているからだ。  静さんはまだ息が落ち着かない。  喉も渇いたので、バッグから水筒を取り出してアイスコーヒーで喉を潤す。  隣の女性の視線が気になったので、紙コップを一つ取り出して勧めると礼を口にしてから受け取ってくれた。  静さんは助けてもらった礼をまだ言っていないことに気づいて慌てた。 「いいのよー。あなたみたいに綺麗な()だと、ああいう輩が放っておかないから大変よねー」  ポワポワとした、柔らかい口調が返ってくる。  木漏れ日のような笑顔でカップに口を付けると、「あら、美味しい」と静さんが淹れたコーヒーを気に入ってくれたようだ。 「いったい何があったの」 「ん?」 「いきなり逃げろっていうから」  倒れていた男たちを思い出して聞く。 「あの人たちねー。今度は節操無しに私のことをナンパしてきたから()しちゃったー」 「……見かけによらず強いのね」 「こう見えても武術の経験あるしー」  おっとりした印象からはとても想像できない。 「私、逃げる必要あったのかしら……」  独り()ちながら冷めた視線を女性へ向ける。 「まぁ、それはーその場のノリってヤツでー」  女性は静さんと目を合わせないよう気にしながら、微妙な目線を周囲に泳がせた。  ロゴトップスにロングスカート。足元にはスニーカー。  長い髪を肩元で結んで前へと流した髪型も良く似合っている。  不思議と憎めない愛嬌を持った人だと思った。  それは静さんには無いものだから、少し憧れたのかもしれない。 「あなた大学生?」 「高二……」 「へー。最近の高校生って大人っぽいのねー。ウチのなんかー」  失言とばかりに言葉を切ると、バツが悪そうに笑って誤魔化す。 「そうそう。はい。これー」  女性が差し出したのは、パンの入った紙袋だった。  先程のゴタゴタで静さんが落したものを、拾って持ってきてくれたらしい。 「助けてもらったお礼に差し上げます」  静さんは道に落ちたパンは食べない。というよりも、食べたくない。  パンがビニールに包まれていて、直接歩道には触れていなかったとしても。 「でもこのパンはあなたの昼食なんじゃないのー?」  既に時計は午後一時を回っていた。本当なら、お昼時には野々宮家へ着いているはずだったのだ。 「それはこれからお邪魔する家へのお土産というか差し入れというか、そういうものだったから。一度土のついたものは、どのみち送れないので……」 「ビニールに包まれているから、食べられないわけじゃないと思うけどー」  静さんは軽く頭を左右に振った。細い髪も一緒に揺れる。 「それじゃ貰っておくけど、食べ物は粗末にしちゃあダメよー」  「コーヒーご馳走様ー」ゆるゆると女性が立ち上がった。 「あの……」  静さんがすぐに呼び止める。 「お姉さんは、この辺詳しい……ですか?」 「まぁね。家、この辺だしー」 「私、知り合いの家へ行く途中だったんだけど、まだ二、三回しか訪ねたことがなくて、その……」  静さんは人に頼みごとをするのが下手だ。  頼みごと自体あまりしたことがないし、誰かに何かを頼まれた経験もほとんど無い。  経験が無いから思い切って人に何か頼むときには、どう言えばいいのか分からなくなってしまう。 「つまり、あなたは迷子になってしまったのねー」  察しの良い人で助かった。  彼女としては、自分が連れ回してしまったせいかもしれないという責任もあった。  静さんが女性の速さについていくのが精一杯で、周囲の風景や方角まで気にしている余裕がなかったということもある。  兎月に携帯で連絡して迎えに来てもらおうとも思ったが、公園内は何処にいても同じような景色が拡がっているから、場所を特定して伝え難い。  「公園内」だけでは此処は広すぎるのだ。 「それで、何処へ行くつもりだったの?」 「野々宮って家なんだけど……」  よくある苗字である。しかし、ご近所さんなら思い当たる何かがあるかもしれない。 「野々宮……もしかして現子(うつつこ)ちゃんの知り合いかなー?」  意外な名前に、静さんは表情無く驚いていた。
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