第20話「ギャンブラー自己中心的少女」

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第20話「ギャンブラー自己中心的少女」

 明日から一学期期末試験が始まる。  日曜日でも今日ばかりは兎月(とげつ)現子(うつつこ)もテストに向けて勉強一色だ。  二人とも普段からガリガリ勉強するタイプではないので、やるときにはやらなければならない。  現子がお茶を入れたから休憩しようと誘ってきたのは昼下がりのことだった。 「最近妙に馴れ馴れしくない?」  ティーカップには、お気に入りの高いほうの紅茶が注がれている。独特の芳香が空間に踊る。 「ま、馴れ馴れしいのは今に始まったことではないんだけど……」  最近は拍車が掛かっている気がすると言いたいのだ。  現子が話題にしているのは、夜須女(やすめ) (しおり)のことである。  兎月が静さんと付き合っていることを今もって話していないのだから、現子には静さんの行動が常軌を逸した軽薄な行為に映ってしまうのは仕方がない。  全部、いい加減な兎月のせいである。 「好きとか軽々しく言っているけどさ。本当に兎月のこと好きなら、もっと兎月を身近に感じられるような行動を取ると思うのよ」  「身近に感じられる行動?」 「………………」  兎月の疑問に現子は沈黙で返した。  失言だったと思い、視線を逸らして紅茶を一口だけ口に含む。  こっそり兎月の部屋に入ってベッドに寝転んだり、洗濯物の匂いを嗅いだり、兎月の私物を内緒で部屋に持ち帰ったり、その他諸々が現子の言う「行動」なのだから、本人を前にしながら続けたくない話題だ。  静さんと違って思考のベクトルが内向きだから、二人が仲良くなれないのは仕方のないことかもしれない。  兎月は静さんと付き合っていることを、現子に打ち明ける良い機会かもしれないと思った。  事実を知れば、現子の中で静さんの行動にも整合性がつくだろう。 「そんなこと、いちいち話す必要あるわけ? 兎月ってやっぱ変!」  そんなふうに呆れたような返事が返ってくるのだろうけれど、一つのケジメとして話しておくべきかと思った。 「その静さんのことなんだけど……」 「何よ?」  彼女の名前を聞いただけで現子は表情の平熱が一、二度下がる。  それを感じ取った兎月の語気が鈍るが、ここでやめるわけにもいかない。 「いきなり妙なことを言うようだけどさ。僕と静さんは――」  玄関のチャイムが姿無く、突然鳴った。  兎月が柄にも無く発揮した決意は、流水に浮かべた笹船のように何処かへ流れ着く前に沈んで消えた。 「誰かしらね」 「……静さんかもよ」 「悪い冗談」  現子が対応に出る。  静さんだったら追い返すつもりなのかもしれない。この様子だと塩でも撒きそうだ。 「母さん!」  現子の驚いた声がリビングまで滑ってきた。  仕事だか旅行だかで海外へ行っていた現子の実母であり、兎月の義母が帰ってきたのだ。  慌てて兎月も玄関まで出迎えに行く。 「ただいまー。兎月ちゃん、現子ちゃん」  野々宮(ののみや) 霧花(きりか)。旧姓は瞑想類(めいそうるい)。  おっとりとした表情で元気溌剌な挨拶をする。  低い位置で結った長い髪が、肩からふくよかな胸へかけて流れる(つや)。 細い体のライン。  彼女の仕草、声、表情、物腰、息遣いに至るまで、柔和な雰囲気が満ち溢れている。  若く見えるにも程がある容姿は、どう見ても二十代前半だが実は四十ウン歳。  現子の童顔は母親譲りなのだろう。  野々宮 霧花は護ってあげたくなる見目をしているが、本質は護られるより護るタイプである。  柔術の達人であり、行動力の人だ。 「おかえり母さん。今回は何処へ行っていたの?」  素朴な疑問は兎月も気になる。 「いろいろだよー。そんなことよりお友達が来てるよー」  玄関にそれらしい人影は見当たらない。 「どうしたの? 遠慮しないでいいよー」  霧花さんに呼ばれて雪白(せっぱく)のワンピースも涼しげな美少女が顔を覗かせた。 「夜須女 静!」  現子がいつも通り、嫌悪の混じった音吐(おんと)で静さんのフルネームを呼ぶ。 「やっぱり現子ちゃんの友達だったー」 「友達? 誰が? ってゆーか、どうして母さんと夜須女(コイツ)が一緒に帰ってくるわけ?」  現子は納得がいかないようで、(そう)として興奮している。 「お友達になったのよねー」  お互い交わす笑顔だが、静さんのほうはぎこちなく(しぼ)んでいる。  霧花さんの小さな花が咲き(こぼ)れるような笑顔と、足して二で割れば丁度良い笑顔の分量だ。 「ところで夜須女さん、私たち真面目だから試験勉強中なんだけど何の用?」  現子としては試験勉強とはいえ、兎月と一つ屋根の下で流れる緩やかな時間を邪魔されたくはない。  お互い分からない問題を質問し合ったり、休憩のときに交わす何気ない会話のやり取り。  それらは試験期間ならではの、現子にとって心の充足を感じる貴重で大切な時間だ。 「私も兎月と真面目にお勉強しようと思って……」  霧花さんの前だからだろうか? 静さんの態度がいつもと違って、妙にしおらしい。 「はぁ? 自分の家でやれば? さぁ帰った帰っ――」  現子の頭に霧花さんのゲンコツが振り下ろされる。多分、かなり痛い。 「意地悪しないの。仲良く三人でやればいいでしょー」 「ぐわーん。今まで勉強したこと全部忘れた。馬鹿になるー」 「妹さんの馬鹿は元々でしょ……」 「聞こえたわよ!」  頭を押さえながら険しい視線を静さんに投げつける。  現子がどうしてこうも静さんを嫌うのか。兎月は一度くらい真面目に考えてみる必要があるだろう。  そういうわけでリビングのテーブルには三人分の教科書やノート、参考書などが広げられることになった。  突然始まった勉強会に現子は不満顔である。  抜けても良かったが、兎月と夜須女 静を一緒にしておくのは嫌だ。  それに抜けたら抜けたで様子が気になって落ち着かないのだ。 「もうすぐ七夕ね」  静さんが勉強と関係ない言葉を口にしたのは、勉強らしい沈黙が降りてきてすぐのことだ。 「七夕といえば願いごと……」  静さんが兎月に意味深な視線を送る。 「ねぇ、兎月。今度の期末テストで私が学年一位になったら、私の言うことを何でも一つだけ聞いてくれる?」 「……学年一位?」  また随分と大きく出たものである。 「そう。学年トップ。そうあるものじゃないし、いいでしょ?」 「なんでまたそんなこと」 「ゲームみたいなものよ。そのかわり兎月が私よりも上位だったら、何でも言うことを聞くから」 「ちょっと待った」  二人の会話を、実は注意深く聞いていた現子が話しの流れを止めた。 「兎月、気をつけて。これは罠よ」 「罠?」  兎月と静さんの声が重なって、現子を少しだけイラッとさせる。 「どうせ万年上位キープ者とかいうオチなんでしょ。そうはいかないっての。何が七夕といえば願いごとだっつーの」 「妹さんに話しているわけではないのだけど、そう言われると思って……」  静さんがバッグの中を探って何枚かの紙片を取り出して見せる。  それは一年生のときの中間、期末試験と実力テストの結果が記載されている成績表だった。  内容は見るも無残な惨憺(さんたん)たるものであった。  赤点ギリギリセーフという科目も少なくない。  当然順位も下から数えたほうが早い。 「夜須女(あなた)、これで学年一位取るつもりなの?」 「いいでしょ?」 「いいわー。プププッ。私もそのゲーム混ぜてよ」 「私、妹さんに聞いて欲しい願いとか無いんだけど」 「そっちに無くても、こっちにあるのよ。プププッ」  さも愉快そうに笑う。分かりやすい現子だった。 「まぁ、いいけど。兎月もそれでいい?」 「こんな無茶な約束してもいいの? 学年一位を取らなければ静さんにはリスクしかないわけだけど」  兎月が念を押す。心配しているわけではない。  静さんの条件に策略めいた何かを感じ取って警戒しているのだ。 「いいのよ。本人がやりたいって言ってるんだから」  現子が半ば強引に話を纏めにかかる。 「私たちは夜須女(あんた)より上の順位を取る。夜須女(あんた)は学年一位を取らなければならない。これがそれぞれ相手に願いを聞かせる条件ね」 「願い事は一つだけどね」 「グッド! その勝負、受けて立とうじゃないの!」 「現子、話が上手すぎると思わない? これではわざわざ僕らの言うことを、静さんが無条件で聞くようなものだ」  そんな甘い人ではないはずだ。  兎月は静さんの話に気乗りがしない。 「静さんから振ってきた話なのに、本人の望みが叶う確立がゼロに近いなんてあり得ないことなんだから」  現子がジッと涼しい顔の美少女に、猜疑(さいぎ)を込めた視線を向ける。  罠かもしれないと思いながら、静さんの表情や仕草に少しでも怪しいところがないか彼女なりに観察しているのだ。 「私はそんな仰々しいものではなくて、単にゲームのつもりだったのだけれど」  持参したステンレス製の水筒からアイスコーヒーを注いでいる。静さんは()くまでマイペースだ。 「試験勉強って退屈だから、こういう刺激があったほうがモチベーションも上がるかな? 程度のつもりで提案してみただけの話……」  紙コップに淡い桜色の唇をつけると、白い喉が緩やかに収縮する。 「でも確かに私にはリスクだけみたい。この話は無かったことにしましょうか」  それから僅かに口の端をつりあげて挑戦的な笑みを浮かべながら現子を見る。 「妹さんは本当に私が学年トップを取ってしまうのではないかと思っているみたいだし」 「そんなこと思ってるわけないでしょ。だいたい無理に決まってるし」 「私って、そんなに頭良さそうに見える?」  静さんと現子の交わす視線の間で見えない火花が散っている。 「分かった。やっぱりこの勝負受けて立つわ」 「現子……挑発――」 「いいのよ。この女、顔が少し綺麗だと思って調子に乗っているんだから。この私が顔と頭の良さは反比例するって証明してあげるわ!」  仮に現子が勝ったとしても、証明できたことにはならない。 「もちろん兎月も参加するのよね? 私、妹さんは眼中に無いから」 「当然よ! もう兎月に近づけないようにしてやるんだから!」  兎月の静止も聞く耳持たず、現子は勢いにまかせて条件を呑んでしまう。  結局、静さんの思惑通りになってしまった。
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