第5話「おそらくは小説史上一番ヒドイ告白」

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第5話「おそらくは小説史上一番ヒドイ告白」

 昼休みになると兎月(とげつ)は、取り急ぎ購買でゼリー飲料を買って屋上へと急いだ。  ここまできたら、嫌なことは早く済ませてしまうに限る。  兎月が屋上へ着いたときには、もう(しおり)さんが待っていた。  一目で彼女と分かる可憐で儚げな後姿が、外周のフェンス越しに外の景色を俯瞰(ふかん)している。  何を考えているのかなんて、兎月には知る(よし)も無い。  兎月の姿を確認するや否や、静さんは神妙な口調で話し始めた。 「実はね、兎月に言わなくてはならない大切な話があるの……」 「何?」 「私は兎月のことが好きです。付き合ってください」 「無理です。勘弁してください」  無音。この世界から一瞬だけ、あらゆる音が消える。 「……どうして断るの?」 「君が僕のことを本気で好きとは思えないから」 「どうして訳分からないことを言うの?」 「だって嘘なんでしょう?」 「嘘なんかじゃないわ」  満面の笑みに対して、兎月は上手く言葉を作れずに視線を逸らした。 「僕には……好きな人がいるから、どのみち君の気持ちには応えられない」  やっとそれだけ言い終えると、溜め息が漏れた。 「そんな意外そうな顔しないでよ。僕にだって気になる人くらいいるよ」  また、少しだけ世界から音が消える。衝撃的な言葉は時に人から時間を奪う。 「そっか……そうでしたか。ごめんね、考え無しで。私、フラレちゃったんだ」  静さんは「まいった。まいった」と笑いながら鞄の中を探っていた。 「良かったぁ。包丁(コレ)持ってきておいて」  ――え?  少女と刃物の取り合わせの不一致が、兎月から現実感を鈍らせる。  それでも(ひるがえ)る狂気の銀色を何とか(かわ)すことが出来た。 「どうして避けるの?」 「それ聞く?」 「心配しなくても兎月が死んだ後に、私も後を追うから安心して」  絶対嘘だ。多分、彼女は死なない。そんな気がした。 「好きな人って、もしかして妹さん?」 「違うよ。現子(うつつこ)は幼馴染みだし」  兎月にとって現子は妹というよりも幼馴染みという認識がシックリとくる。両親が再婚したのだって、つい最近のことなのだ。 「幼馴染み……」  彼女の動きが止まった。その隙に兎月は静さんの手から包丁を取り上げる。  その瞬間、漆黒の瞳は喪失感に揺れて、(うつむ)く。 「あ、これオモチャだね」  先端を押すと刃の部分が柄の中に入っていく仕組みだ。 「良く出来てる……君が作ったの?」  嘘の刃物と嘘の言葉。この世界は半分くらい、嘘で出来ている。 「酷いわ! 兎月!」  一生懸命に張り上げた声量が数羽の小鳥を驚かせた。 「そんな大事なことを今まで隠していたなんて!」 「別に隠していたわけでは……君には関係の無いことだから」 「関係無いですって? 充分、関係があるわよ!」  関係ありません。 「私は兎月のことが好き。大好き。この世界の誰よりも好き。兎月を傷つけるものは誰であろうと許さないくらい好き。だから関係あるでしょう?」  精一杯感情を込めているのだろうが、どことなく淡白に聞こえてしまうのは静さんの損なところだ。 「さっき僕を傷付けようとした人の言葉とは思えない」 「私だけは特別だから、良いのよ」  これほどまで、人は誰かに想いを注ぐことが出来るものだろうか。  これが本音なら狂気だし、演技なら裏があるということになる。 「あなたね。そう簡単に好きなんて言うけれど、言葉に重みが無いのよ。軽いのよ。安っぽく聞こえるの分からないの?」  まるで最初からこの場にいたような調子で現子の声が会話に参加してきた。  その突然は兎月を驚かせたが、静さんの瞳は淡々と興奮気味の現子を映し出すだけだ。 「妹さんに告白しているわけではないのだけど」  静さんの激情は跡形もなく身を(ひそ)めてしまい、今は教室での覚めた口調に戻っている。 「さっきから聞いていれば好き好き好き好き好き放題言っているけれど、兎月(コレ)の何処がそんなに良いわけ? ヘタレだし。男らしさは微塵もないし。ヘタレだし!」  ヘタレを強調しないで欲しいとヘタレは思うのだった。 「顔……」 「は?」 「私は兎月の顔がとても気に入っているの」  異性を好きになる場合、容姿は誰もが考慮に入れるものだろう。  しかし、それだけでは理由に説得力がないのも確かだ。  お見合い写真だけで相手に入れ込んでしまう人はいない。  それとも静さんにとって、現時点で兎月を評価する情報が容姿以外に与えられていないということだろうか。  それでも手紙を無視されたり、作ってきた? フランスパンを食べてくれなかったり、ハッキリしない物言いも含めて兎月という人物を僅かでも知る機会はあったはずだ。  どれも好印象とはほど遠いものばかりであるが。 「顔って、それだけ? もっとマトモな理由は無いの?」  兎月の中性的な容姿に人一倍の拘りを持っている現子が、もっともらしくマトモを口にする。 「マトモ? フィーリング? とか?」 「この人絶対ヘンよ」と、現子が目で語ってくる。  同意である(むね)を兎月も視線で返す。 「悪いけど、夜須女さんの気持ちには応えられない」 「好きな人がいるんでしょう? 名前、教えてくれない?」  目を細めて、唇が優しい形に歪んでいく。  静さんのそれは笑顔なのだろうが、根本的に異質なものだ。 「それは言えない」  言いたくない。名前を明かしてしまったら、何もかも壊されそうな気がした。 「そう……」  静さんが少しだけ目を瞑る。その仕草は白旗を揚げたようにも見えた。 「私のことを『君』とか言うのやめてよ。名前を呼ぶのに抵抗があるなら、せめて苗字で呼んで……」 「じゃぁ、夜須女(やすめ)さん」  静さんの小さな吐息が(ぬる)い空気に溶けていく。 「お友達じゃダメ?」  しおらしい声の裏には、兎月と自分との関係をこの場で明確にしておきたい思惑が隠れている。 「恋愛感情が前提としてある友達なんてありえない」 「教室で話しかけたりするのもダメなの?」 「まぁ……そのくらいなら」 「一緒にお昼食べたり、遊びに行ったりとかもダメなの?」 「まぁ……そのくらいなら」 「おい! それもう付き合ってるだろ?」  現子が思わずツッコミを入れる。 「それじゃ他人以上、友達未満っていうのはダメかしら?」  夜須女 静は、めげない非現実的美少女だった。  他人以上、友達未満。妙な言葉である。  友達ではないけれど、他人でもない。ただの知り合いという意味に近いのだろうか? それなら認めても構わないような気がした。  どこかで彼女の言い分を受け入れない限り、引き下がりそうも無い。  結局、兎月と夜須女 静は他人以上で友達未満という、なんだかよく分からない関係に着地した。  HRに担任の気まぐれで席替えをすることになった。  簡略化された席が黒板に描かれ、それに番号が割り振られている。  生徒たちは番号の書かれたクジを引いて、数字と一致した席に移動してゆく。  兎月は窓際の一番後ろというベストポジションを引き当てた。ボーッとしていても、そこは主人公の強みである。  隣の席で長い黒髪の非現実的美少女が、憂鬱そうな顔でピースサインを向けていた。あるいはブイサインなのかもしれない。  三者三様、一応の結末を()て勝者がいるとしたらそれは誰だろうか。
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