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さよならの足音
『家に帰って、ゆっくり落ち着いて考えろ。それから決断を下せ。恋人に何の挨拶もせずに行く気か』
ニューヨーカーらしい早口の英語でそう豪快に言われたとき。向井由宇の脳裏に浮かんだのは、高校卒業まで暮らした実家ではなく、未だ見ぬ都心のマンションだった。
由宇にあてがわれているらしい一室。一度も帰ったことがないのだから、想像するしかない。だが、壁は白に違いないと確信的に思っていた。あの、どこまでも頭の固い男は、壁は白いもの、床は茶色いものと思い込んでいる。
日々の生活をそのマンションで送っている男。どこに引っ越しても、律儀に共同名義にしてくれる男。由宇の、帰る場所。
ふっと男の低い声が耳元でクリアに響いた気がして、思わず眉根を寄せて目を閉じた。
それからは居ても立ってもいられなかった。気が付けば、連絡を入れるより先に航空券を手配していた。
帰ろう。帰りたい。ただその一心だった。
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