さよならの足音

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 その部屋の壁には作りつけの本棚が配されていた。こんなに本を詰めていたら地震があっても落ちてくることはないだろう。そう思うほど、隙間という隙間が見あたらない。背表紙には「民法」「行政法」など硬い文字が並び、英字のものも少なくなかった。  南向きの窓からはやわらかい陽光が差し込んでいる。  そして、その向かいの壁を埋めつくしているもの。それは大小さまざまな写真だった。  ざっと数えても50はくだらないだろう。ヨーロッパの街並み、海を赤く染めながら水平線に沈んでいく夕日、雪を頂いて雄大にそびえる山々。どれも一見してプロの手とみえる。  由宇は懐かしくその一つひとつに目を通しながら、こみあげてくる照れくささをおさえきれずにいた。  あの堅物男が一体どんな顔をしてこれをはっていったのだろう。あの男にとっては、本棚にならぶ六法全書のほうがよっぽど親しみがあるに違いない。  そこでふと、ある写真に目がいった。  大量にはられた写真群の一番はし、入り口から遠い部屋のすみにその一枚はあった。  学ラン姿の少年が難しい顔をしてこちらをみている。古いもので、四つ角はまがり、色が薄くなっていた。  由宇は思わず吹きした。そういえばこんなのも撮った。  それは高校の卒業式の日、すべてが終わって誰もいなくなった教室で由宇が写したものだった。  現像して渡したときは、いつも感情を表にださないあいつにしては珍しくも怒ってひったくったのだ。てっきりくしゃくしゃに丸めて捨てられたものと思っていたのに、まさか今も男の手元にあるばかりか、部屋の壁にはってあるとは。  由宇はしばらくその写真を見つめていた。  懐かしい一枚。  こうして向かい合っているだけで、あのときあの場所に気持ちが帰っていくような気がする。  そんなつもりはなかったのに、そうとう熱心に見ていたらしい。マンションの玄関が開き、家主が帰ってきたことにも気づかなかった。 「由宇、か……?」  だがより驚いたのは帰宅した家主のようだ。由宇の姿を見とめたとたん、スーツ姿の男はドアをあけてはいってきた格好のまま数秒固まってしまった。
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