4人が本棚に入れています
本棚に追加
しかしもう手遅れだったかもしれない。なんだか視界がぼやけた気がする。目の前のものが躍るように、ゆらゆらと動いて見えたのだ。一端眼を閉じて、まぶたを揉んだ。
眼を開ける。視界ははっきりしていた。気のせいだったらしい。けれども何かが引っかかる。さっき見たものを思い出して、もう一度動作を繰り返してみた。
手紙の束に手をやる。最後のページをめくり上げて、わざと手をゆるめてみる。パラパラと紙が積み重なっていって、便箋の罫線がわずかに揺れた。だがそれではない。
もう一度やってみた。そうして僕は初めて、視界で動いたものが何だったのかに気づいたのである。
鶴が躍っていた。便箋の脇に描かれた赤い鶴の挿絵は、むろん全部同じだと思っていたのだけれども、実は一枚一枚違っていたのだ。あるものは少し羽根を広げ、あるものは長い首をもたげていた。それらが便箋を素早くめくることによって、まるで動いているように見えるのだ。
以前テレビで、タンチョウヅルの生態が放映されていた。彼らは求愛行動として、ダンスのような動きをする。歓喜の鳴き声をあげて、厳かに羽ばたきながら、愛する相手と絡み合うようにステップを踏む様は、恋人のできたことのない僕にも、胸に迫ってくるものがあった。
便箋の鶴は、一羽だけで踊っている。けれどもこの手紙の受取人こそが、ダンスのパートナーであることは言うまでもない。
僕はいつまでも、彼女の踊りを眺めていた。(了)
最初のコメントを投稿しよう!