0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
その時間や労力を想像したからといって、彼らが自分たちの未来に抱いていたような「不安」や「絶望」とは結びつかないのだ。
伝える方法があるのに、伝わらない。
動ける手段があるのに、動けない。
これらが彼らの「不安」であり「絶望」であるならば、その能力を生まれつき持ち合わせなかった私は、やはり「しあわせ」なのだろう。
数年の時が過ぎ、はたして私は社会人になった。
思いを伝えるにも、目的地に到着するにも、相変わらずかなりの困難さが残っている。
しかし、彼らに両脇を抱えられるようにして屋上に立ったあの日から、生まれつきのハードルを持たない「しあわせであるはずの人間」に対する私の思いは確実に変わった。あの時、「私を助けてくれる有り難い存在」は、その優しさで私をこの世から連れ去ろうとした。夢や希望にあふれていた未来を、「絶望」という言葉に変換し、世間の憐憫の眼差しに晒したのだ。
今の職場の「しあわせであるはずの人間」は、私という存在と真正面から向き合ってくれる。
だから、私には「裏側」が見えない。
彼らの後ろや隣で「裏側」ばかりを見ていたあの頃と比べて、少しずつその関係性は変わりつつある。
それが良い変化であるのかどうか、その決定権さえ、
私は自分の手中にあると確信している。
最初のコメントを投稿しよう!