優しさの裏側

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その時間や労力を想像したからといって、彼らが自分たちの未来に抱いていたような「不安」や「絶望」とは結びつかないのだ。 伝える方法があるのに、伝わらない。 動ける手段があるのに、動けない。 これらが彼らの「不安」であり「絶望」であるならば、その能力を生まれつき持ち合わせなかった私は、やはり「しあわせ」なのだろう。 数年の時が過ぎ、はたして私は社会人になった。 思いを伝えるにも、目的地に到着するにも、相変わらずかなりの困難さが残っている。 しかし、彼らに両脇を抱えられるようにして屋上に立ったあの日から、生まれつきのハードルを持たない「しあわせであるはずの人間」に対する私の思いは確実に変わった。あの時、「私を助けてくれる有り難い存在」は、その優しさで私をこの世から連れ去ろうとした。夢や希望にあふれていた未来を、「絶望」という言葉に変換し、世間の憐憫の眼差しに晒したのだ。 今の職場の「しあわせであるはずの人間」は、私という存在と真正面から向き合ってくれる。 だから、私には「裏側」が見えない。 彼らの後ろや隣で「裏側」ばかりを見ていたあの頃と比べて、少しずつその関係性は変わりつつある。 それが良い変化であるのかどうか、その決定権さえ、 私は自分の手中にあると確信している。     
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