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「フィルムは疾うに亡いけれど、君は僕を遺せるかい?」
愉快そうに、どこか挑戦的に灯也(とうや)が言った。俺はカメラのスイッチを入れてから病室の窓を開けて、溜め息をついた。
「なんだって、そんな事を?」
「いやぁ、だってもう君の名前も思い出せないんだから。末期だろう?」
「千波(ちなみ)」
「そう、そんな感じだった」
真っ白な病室に潮の香りを含んだ夜風が吹く。
「フィルムなんてヴィンテージは俺には手が出せん」
フィルムという言葉が死語になったのは、何百年前だろうか。今では全て〈ヴィーディー〉と呼ばれる画像集合体技術によって映像が処理されている。日本の言葉では動画、と呼んだものが元のルーツにあるようだが、2600年代に施行された世界言語統一の宣言によって、失われて久しい言い方だ。
「〈ヴィーディー〉は優秀だ。フィルムなんかなくったって、お前の姿を遺せるさ」
「僕の姿? 輪郭の間違いでしょう? 僕のこのどろどろに溶けた脳味噌は見えないはずだ」
「そういう言い方は止せ」
絶海の孤島の岬にある、秘匿された病院。灯也は余りにも永く、この場所に閉じ込められていた。口振りも幼い頃と変わらずに、ただ思った事を喋り続ける。
「ゼラチンを沢山飲んだんだ。そうしたら僕の中身も固まってくれるんじゃないかって」
気持ち悪くなって吐いちゃったけど、と灯也は笑った。彼は体内の臓器がゆっくりと溶けていく病にかかっていた。今年で二十七になる癖に、十のこどもより幼いその身体は、歩けもしない。幾多のチューブに繋がれたその格好はサイボーグのようだった。
「それだけ突飛な発想が出来るなら、お前の思考は当分死なないさ」
「ねえ、そのカメラの電池はどのくらいあるの?」
「コンセント式だから、停電にでもならない限りは永続的だが」
病院の電源は海風と波によって発電されている。メンテナンスも自動で行われるので故障の可能性は著しく低いだろう。
「〈ヴィーディー〉は何でも記録してくれるの?」
「ああ、お前の輪郭も、声も、僅かな動作も、記録される」
「僕の心は?」
「それは、口にしなければ記録されない」
そう、と灯也は伏し目がちに頷いた。そうして、俺を枕元に呼び寄せた。
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