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   そいつとは苦い記憶しかない。  高校の頃、僕は将棋に夢中だった。中三のとき、中学将棋選手権県大会の決勝で敗れた悔しさを晴らすため、学校の勉強そっちのけで将棋に打ち込んだ。高校二年で出場した高校竜王戦県大会では、順調に勝ち上がり決勝の舞台を迎えた。優勝候補とされていた選手はベスト8で敗れたため、決勝戦では無名の選手とぶつかることになった。  僕は当然勝つつもりでいたし、周りもそう思っていたはずだ。だが、対局が始まると楽勝どころか手合い違いであることを思い知らされた。当時の得意戦法だったゴキゲン中飛車がまったく通用せず、大駒を完全に押さえこまれる完敗だった。  ラストチャンスになる三年の大会でも決勝でそいつとぶつかった。気の緩みがあった前年とは違い、慎重に駒を進め、持ち時間ギリギリまで考えて敵玉に必死を掛けた。これで相手は完全に受け無し。自玉が詰まなければ僕の勝ち。すなわち優勝だ。  秒読みの中、彼は持ち歩をつまみ上げ、僕の王の頭を叩いた。取るか、斜め前方に上がるか、下がるか。応手は三つあるが、どれでもこちらの勝ちのように思えた。 「二十秒、イチ、二、サン、シ……」  秒読み係の「ハチ」を読む声が聞こえたとき、その歩を玉で取った。が、同時に相手が飛車をただ捨てしてくる妙手が見えてしまった。そいつは、転がり込んできたチャンスを逃すような男ではなく、そっと9七の地点へ飛車を打ち込んだ。  頓死。  局後の検討では、その局面で玉を上がっても、引いても、僕の勝ちだったとの結論に達した。唯一の負け筋に自ら飛び込んでしまったのだった。
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