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結構歩いたから、私は帰りの車ではおしゃべりせずに寝ようと思っていた。
そうすればママと伊勢さんを2人の世界にしてあげられるし。
それが出来なくなったのは、伊勢さんが意外な話を始めたからだ。
「さっき声を掛けた子、笠井一高の写真部だって」
「へえ! 頭がいいのね」
ママは感心したように言ったけど、私は後部座席で腕組みして寝る態勢に入った。
初対面の人にわざわざ一高だって言う必要ある? 頭がいい奴って、そういうところが厭らしいって言うかなんて言うか。
「うん。ちょっと紙一重なのかな。変なこと言ってたよ。『地獄じゃない真っ赤な大地を撮りたいんだ』って」
「え⁉」
私はガバッと身体を起こすと、運転席と助手席の間に顔を出した。
そんな……まさか。でも、もしかして……。
「変だろ? 『昔、好きだった子にいつか見せてやりたい』ってさ。『それが僕の夢なんです』なんて聞かされたら、こっちが照れちゃったよ」
「あら、ロマンチック? でも、”地獄”っていう言葉のチョイスが変わってるわよね」
2人の会話が遠くに聞こえた。
魁くんだ。絶対、魁くんだ。あれ、魁くんだったんだ。
シートに深く沈み込んで目を閉じた。
魁くんは保育園時代の私の救世主だった。
専業主婦だったママはパパの死を契機に働き始めたけど、慣れないせいかいつも忙しそうにしていて不機嫌で。
私も幼稚園から保育園に変わったから、何もかもが違って戸惑うことばかりだった。
そんな私に優しくしてくれたのが魁くんだった。
魁くんは背が低くて細くて、女の子みたいに可愛い顔をしていた。
それでいて、他のガサツで乱暴な男子たちから新参者の私を守ってくれる男気もあった。
ママに恋人が出来て、自分の居場所がなくなったような気がして。
地獄でもいいからパパのところへ行きたいと願っていた私に、魁くんは青いクレヨン1つで慈愛の雨を降らせてくれた。
魁くんはすっかり忘れていると思っていたのに。
憶えていてくれたんだ。
『昔、好きだった子』って、私のこと?
私も魁くんが好きだったよ。
急に引越すことになって、もう魁くんに会えないんだって思ったら涙が止まらなかった。
たぶん、あれが私の初恋。
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