吾輩は¥である

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 生まれは『どこで生れたかとんと見当がつかぬ』ということは全くなくて、僕も、多くの一円玉と同じように、大蔵省造幣局で産声をあげた。  産声をあげたとは書いたが、僕はただの一円玉硬貨なので、勿論本当に産声をあげたわけではない。  アルミ材料から溶かされ、鋳型に嵌められて、冷却されて固まり、そして見事ピカピカの一円玉になったのだ。  誕生年は、平成元年。  この年、この国では消費税3%が導入された。  今まではスーパーマーケットなどでの¥198(イチキュッパ)のように、ワザと端数をだすような値段設定のお店でしか、僕らはあまり使われなかった。  それが消費税導入とともに、あらゆるお店で活躍することになったのだ。  消費税の誕生で、当時の世間に流通する一円玉だけでは賄い切れないと判断した、ときの政府は、この年に一円玉を大量に鋳造したのだった。  今では携帯電話などを使った非接触型支払いシステムが普及してしまって、僕らの活躍の場もだいぶ少なくなってしまったけれど、この大量に生産された年に生まれた僕は、いわば一円ベビーブームのゴールデンエイジと呼べる存在かも知れない。
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