1人が本棚に入れています
本棚に追加
人間って不思議だなあ。生まれて初めて食べる牛丼を噛み締めながら、改めて思う。
私、紅子がこのアパートに居候をするようになってはや三週間。家主のシロという人は、家主のくせにここにはほとんど帰ってこない。
年齢も職業も本名も知らない謎の同居人と暮らすようになったのには、深いワケがあるようで実は特に何もない。ただ彼が路頭に迷う私に「行くとこないならうち来る?」と声を掛けてくれて、それに私が頷いただけ。結構よくある話じゃないかなあと思う。
唯一珍しいことといえば、彼は人間で私はゾンビだということだろうか。
ゾンビ。ホラー映画やゲームにたびたび登場し、たいてい銃で頭部を滅多打ちにされるヤツ。火が弱点で、人間に噛みついてはその唾液で仲間を増やす汚らわしいヤツ。
大体のイメージといえばこんなところだろう。しかし、私は声を大にして言いたい。これらのほとんどは、人間によって大げさにでっち上げられたものなのだと。
まず、ゾンビといえども、ちょっと顔色が悪いくらいで体のつくりや生態自体は人間と大して変わりはない。銃で撃たれれば死ぬし、刃物で刺されても車にはねられても普通に死ぬ。唾液にそんな恐ろしい感染力なんかないし、むしろ人間とはなるべく遭遇しないようにひっそりと生きている生き物、それが私たちゾンビなのだ。
人間を避けてとなると、必然的に人の住んでいない、あまり環境のよくない場所に住むことになる。そもそもこれが、私が家出を決意したきっかけの一つでもあった。私は、とにかく、綺麗好きなのだ。
「俺がいない間、誰か来た?」
「いえ、誰も来ていません」
「そ」
いつの間にかベランダから戻ってきていたシロの声に、びしっと姿勢を正す。そのまま玄関の方に向かう彼からは、つんと煙のにおいがした。
靴を履くシロの背中を追いかけてなんとなく眺めていると、ついと後ろを振り向いた彼が、切れ長の目を細めた。
「じゃ、来月まで鍵よろしく」
「はいっ」
「ふ、いいお返事」
居候で家賃もろくに払えない私に彼が言いつけたのは、二カ月間、この部屋の鍵を管理することだけだった。ぱたんと呆気なく閉まった扉に感謝を込めて手を合わせてから、急いで牛丼の元に戻る。
何とも言えず旨味のあるご飯を、口に含んではふはふする。世の中にはこんなに美味しいものがあるのかと感動しては、また一口箸を進める。
あー、明日もバイト頑張ろう。口いっぱいを美味しいで満たしながら、なぜだか改めてそう思った。
最初のコメントを投稿しよう!