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 街中でシロを見かけた。カップルだらけのお洒落なカフェから着物姿の女の人と一緒に出てくるところを、アルバイト帰りに偶然目撃したのだ。  今日も今日とて売れ残ったパンを大量にもらったので、両手に45リットルのレジ袋を引っ提げている。声を掛けるべきか迷っていると、遠目にシロと目が合った。隣の女性に何かを言い、ちょうど私に背を向けて立っていた彼女がぱっと後ろを振り向く。 「うわ、綺麗な人……」  思わずそう呟いてしまうほど美しい人だった。艶のあるたっぷりした黒髪を上品に結い上げていて、白地にグレーの細かい縞、涼しげなしじら織の着物を見事に着こなしている。   その人はシロと一言二言会話した後、何故かずんずんとこちらに近づいてきた。 「あなた、今あの子と一緒に住んでいるのよね?」   薄化粧だがぱっちり二重で、全体的にはっきりした顔立ち。まさに理想の大人の女性といった雰囲気だ。もうそれだけで勝手に気圧されてしまい、こくこくと一生懸命頷く。 「まあまあ、今度はずいぶん可愛らしいお嬢さんだこと。あなた、お掃除は好き?」 「えっ。はい、好きです」 「好きな食べ物は?」 「えっ。えーっと、ラーメンが好きです」 「……お塩? お味噌?」 「シーフードです」  ぴっと眉を吊り上げた彼女は、私を頭から爪先まで見回してから言った。 「ねえあなた、あの子の好きな味付けは知ってる?」 「えあ、味付け、ですか? 料理の?」 「そうよ、お料理の味付け」 「いえ、あの、料理は全然してなくて」 「ふうん。なんなら私が今から教えてあげましょうか」   そう言って完璧に美しく微笑む彼女を前にあわあわしていると、いつの間にかすぐ近くまで来ていたシロがわざとらしくため息をついた。 「美里さん、いつもそうやって女の子に絡んでいくの止めな。嫌われるよ」 「あら、嫌われるためにわざと言ってるのよ。ねえあなた、私の厚意を無駄にするつもり?」  何が何だかよく分からないが、とにかくこの女性が料理を教えてくれるらしい。ぜひ、と口をついて飛び出した言葉に、彼女がまあ、と驚いてみせる。 「いいわ、ついていらっしゃいな。私、味には厳しいわよ」 「はい、ありがとうございます」  そのまま背を向けた女性についていこうとすると、後ろから軽く腕を捕まれた。人間の高い体温が、薄い生地越しにじんわりと届く。 「ちょ、っと。ほんとについてくの?」  シロにも私のひんやりした温度が伝わったのか、ぱっと離れていった手が少し寂しかった。 「はい、こっちでも料理やってみたかったので。すごくうれしいです」 「あのさ、知らない人にそんなほいほいついてっちゃだめでしょ」 「え、と。シロの知り合いの方ですよね?」 「それはそうだけど、紅子ちゃんとは初対面じゃん……え、何?」  思わず目を見開いてしまい、シロに怪訝そうな目を向けられる。今、初めて名前を。というか、私の名前知ってたんだ。 「いつまで待たせるつもりかしら? ああ、これは女同士のお話だから、あなたはお帰りになってね――その荷物は預けてしまいなさい」  まだ何か言いつのろうとしていたシロに手持ちのパン袋を押し付けて、美里さんの方に駆け寄る。しゃんと伸びた背中を追いかけて、ふと思いついて後ろを振り向いた。 「あの、そのパン、冷凍しておいてもらってもいいですか」  冷蔵庫に入れておけば一週間は保存できるが、それを過ぎるようなら冷凍庫に入れておいた方がいい。大事な非常食なので、一つたりとも腐らせたくはなかった。微妙な顔で分かったと頷いてくれたシロに頷き返していると、美里さんが咳ばらいをしたのでまた慌てて前を向く。    美味しいものが作れるようになったら、シロは食べてくれるかな。  ちょっとだけ胸がわくわくして、私は驚くべきスピードで遠ざかっていく彼女の背中を追いかけた。
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