よん

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「いやー、一歩踏み出したいけどどうにもならんわ」  ガスコンロの前で仁王立ちになりながら、ぼそっと呟く。シンクの上には、ようやくまともな見た目になりつつある肉じゃがが二皿。その片方にラップをかけて、今日も今日とて冷蔵庫に入れる。  あれから何度も街に出てシロを探しているが、一向に見つかる気配がなかった。美里さんを頼ろうかと考えたものの、よくよく考えれば連絡先も知らなければ彼女の家までのルートも忘れてしまったのでどうしようもない。  シロは、もうここには帰ってこないんだろうか。  100円ショップで買ってきたパステルカラーの卓上カレンダーに目を移すと、ここに居候させてもらってからそろそろ二カ月が経とうとしていることに気付いた。この部屋の鍵を管理するという約束も、もうすぐ無くなってしまう。そうなれば、私にはもうさっさとここを出ていくしか道がないのだ。  これはもう、とにかく作戦を練るしかないのでは。ビラを作ろうにも、私はシロの写真を持っていないし本名もよく分からない。たしか、ヨ、ヨシ・・・・・・ヨシロー、みたいな・・・・・・。  私はしばらく悩んでから、引き出しの中に仕舞い込んでいた一枚の名刺を手にした。  数コールの呼び出し音の後、どすの利いた声が誰やと唸った。 「あの、私です、紅子です。覚えてますか?」  しばらく間があって、それから電話先の男ーー冲方は、明るく「おっ!」と声を上げた。 ーーなんや、元気にしとったか? どないしたんや。 「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」 ーーあいつ、帰ってきたんか? 「あ、いえ、帰ってきてないですね。その、あいつ、の名前を教えてほしくて」  訝しげな冲方にドキドキしながら名前を確認する。 ーーさんずいに龍で瀧、目鼻口の口、嘉人のヨシはあれや、めでたい時の、十豆加えるて書くあれや。ほんで、最後は人。 「ありがとうございます」 ーー急に何やねん、何かあったんか?っちゅーか、嬢ちゃん名前も知らんかったんか。 「あっ、うー、や、えへ」  うにょうにょ誤魔化していると、今から行くか?と言われて慌てて遠慮する。冲方は借金の取立て目的でシロを探しているのだ、会わせたいわけではない。 ーーどうせまたどっかで女引っかけて遊んどるんやろ、嬢ちゃんもええ加減にしとかなあかんど。ほな、切るで。  言うや否やぶつっと切られて、せっかちだなあと手の中のケータイを眺める。適当なチラシの裏に瀧口嘉人と書き込んで、よしと頷いた。 時計を見ると、アルバイトのシフトが入っている時間まであと少しだった。たしか、今日は瀬尾くんも被っていたはず。  ふと、僕こう見えてめっちゃ頼りになるでと笑う瀬尾くんの顔が思い浮かんで自然と顔が緩んだ。おそらく人間と比べてもあまり愛想のいい方ではないだろう私にも、瀬尾くんはいつもにこにこ話しかけてくれる。知り合いがほぼいない人間の世界で、瀬尾くんの存在はかなり心強かった。本当に、素直でいい子だなあと思う。 「瀬尾くんはそのままでいてください」 「えっ? 急にどうしたん?」  二人揃ってパンの袋詰めをしながらしみじみとそう言うと、瀬尾くんはこてんと首を傾げた。 「あっ、そう言えばこないだ言ってたやつ大丈夫やったん? ちゃんと上手くいった?」 「あー、いや・・・・・・」  実はあれからまだ顔を合わせられていないということ、今日これから最終決戦だという話をすると、瀬尾くんはまるで当たり前みたいに言った。 「僕も手伝うで。人手は多い方がいいやろし、どんな人か大体教えてもらったら力になれるやろうから」 「えっ。でも」 「困った時はお互い様やん、遠慮せんといて」  私は感動して瀬尾くんの優しげな垂れ目を見つめた。 「と」 「と?」 「友達になってください」 「えっ。僕ら友達じゃなかったん!?」  瀬尾くん、本当に、いい子。何やらショックを受けている彼を半ば感動しながら見守る。たまにシフトが被るだけの赤の他人にこんなに親切にしてくれるなんて、お人好しというか何というか。人間ってこんなに簡単に友達になってくれるものなのか。いや、絶対そんなことない。 「あの、じゃあ、手伝ってもらってもいい……ですか?」 「全然いいよ、でもその前に、僕は紅子ちゃんのこと前からずっと友達やと思ってたで!」  びっくりしたわあ、ほんまにもう忘れんといてなお願いやでぇと大げさに心臓に手をやって項垂れている瀬尾くんはやっぱり可愛らしかった。 「紅子ちゃん今日午前中で終わりやんね? 僕もやし、一緒にあがろ」 「はい。今日は、よろしくお願いします」 「はい、お願いされました」  こっちに来てから、初めての友達。いつも通りのはずの瀬尾くんの笑顔が、やけに輝いて見えた。
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