泡沫

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 結局、私はあの両親の娘なのだ。  私には三つ離れた兄が居た。優秀な兄だった。中学は特に受験はしなかったけど、高校は県内でも有数の進学校にも進んだ。けれど、大学受験はせずに就職して、今は一人暮らしをしている。  小さい頃は喧嘩もしたけど、お互い成長すると、特に会話も交わさなくなった。別段、仲が悪かったとか、そういった訳ではない。多分、それが私達の距離感だったのだ。兄が一人暮らしを始める直前であっても、それが変わる事は無かった。  でも、兄の気持ちは伝わっていた。兄もずっと、苦痛だったのだ。だから大学を受験するという提案も捨て去って、両親に反発し喧嘩して、自分の道を選んだ。  こんなにも交流が欠如した家庭ではあったけど、だからと言って両親が碌でなしだったかと言えばそうでも無かった。母親も父親が居なければ優しかったし、冗談を交えた話をする時だってあった。父親も、携帯電話の待ち受けを何時撮ったものか物かは覚えてないが、私と兄の写った写真に設定する位には愛情深い人であった。  とは言え、それでもやはり、私には苦痛だった事には変わりはなく、高校生になると、家に帰る時間も遅くなった。別にやんちゃをしている人達と連み出したという訳では無い。ただ単に友人と学校に残って話をしたり、帰り道を自転車で目的も無く一人でふらふらと遠回りしていただけである。  態々時間潰しをする位なら何かしら部活動にでも励めば良いのかもしれないが、中学で部活動を引退して以降、今一やる気にはならなかった。  上には上が居ると思ってしまったのだ。  どれだけ頑張ったとしても、結局一番にはなれない。私は何事もそこそこ出来た。けれど何事もそこそこしか出来無かった。何者かになりたかったけど、何者にもなれなかったのだ。  心が安らぐのは、静かな夜道を一人でいる時だった。虚しさは相変わらず残っているけど、不思議とそれさえも心地好かった。友人との会話や読書みたく何かに没頭して、ふと我に帰った時の虚しさとは違った。  何故か、自分は生きていると感じた。何故か、その時だけしか己の生の実感が湧かなかった。家に帰った時や、学校に居る時は、まるで夢の中に居る時の様で、自分という人間の行動を、客観的に眺めている様な感覚だった。  同時に、周りの人達が眩しかった。とても生き生きとしていて、凄く、楽しそうだった。
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