猫になりたい

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今日の生徒は、年配の女性だ。彼女の自慢は、ビートルズのLPコレクション。今は、アイドル歌手の曲を練習している。 「先生、この間テレビで見たわよ」 「あ、本当ですか。どれだろう」 「宇野透真が司会の歌番組。マリアちゃんの後ろにいたでしょ」 「ああ、あれですか。今週もマリアのバックで出るんで、良かったら見てください」 愛想笑いも板についてきたと思う。スタッフに言われるまでもなく、随分と俺も丸くなった。 人に教えるなんて、と尻込みしていた講師業も、今となってはそれ程嫌ではない。生徒との他愛ない世間話も、それなりに楽しんでいる。 他の講師、例えばピアノなんかと比べれば、ギターは楽だ。特に俺が担当しているのは、音楽で食ってきたいと思ってる若者か、自分で稼いだ金を趣味に投資している社会人だから、親に言われて嫌々教室に引き摺られてきたようなガキはおらず、音楽に集中できる。仕事のストレスを背負ったままやって来るサラリーマンも、不機嫌さを隠せない学生も、弦を触ってるうちに音にのめり込んでいく。 俺は、その手助けをするだけ。いい仕事だと思う。 楽器はいい。余計なことを言わず、言わされず、嘘もつかず、いつでも素直だ。本気でぶつかれば、奥に秘めた本性を出してくれる。 だから、猫を構いたくなるのかもしれない。あちこちにいい顔をしながらも、懐かない猫は真逆の存在だ。 俺は、それをたっぷり可愛がってやりたい。ギターと同じように。
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