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上の娘が、ようやくしゃべり始めた。
「途中ね、もう一人きれいな男の人が来て、その人、ちょっと魔法使いみたいだったの。ママのご本に、悲しいヴァンパイアのお話あったでしょ? そんな感じだったの」
下の娘が、声をはりあげた。
「『埋めてあげようね』、って言ったの!」
急に倒れて本当に死んでるみたいにぜんぜん動かなかったんだよ。
ギクリとし、のどが詰まって言葉がでなかった。
わたしは立ち止まり、来た道を振り返る。
「女の子もその男の人もずっと笑ってたから、わたしもりおも笑ったの。でも急に怖くなったの」
わたしは二人の娘の手をぎゅっと握った。「ママ、わたしたち笑っちゃいけなかったのかな」
上の娘が自問するように小さな声で言う。
美しいヴァンパイアのような男。見たこともないのにその姿がありありと目に浮かぶ。白い顔をして唇に甘い微笑みをのせ、枯葉にうずもれた男の傍らに膝をついている。すぐそばで少女が落ち葉と戯れる。乾いた音をたて、空を舞うとりどりの色。男の上に降り積もる。
どんな人間もはじめはみな小さな赤ん坊だった。わたしは母親になってはじめてそれを知った。例外なくすべて、すべての人がそうだった。
わたしは、娘の小さな手をさらに強く握ると、今日はりんごのタルトを買って帰ろうと提案する。娘たちはぱっと笑顔になる。
すべてが安らかにことなきをえますように。
願いは祈りだ。
苦しい子どもがこの世の中から一人でもいなくなりますように。誰も暴力にあいませんように。わたしに暴力をふるわせませんように。ひどくかなしい結末がすべての物語に決してやってきませんように。
かつて子どもだった大人たちのためにも、祈る。
ありとあらゆる人に災いがおとずれませんように。
たとえそれが避けがたい悪による結果だとしても。本人が望んだ結末であったとしても。
「きっと大丈夫よ」
私は自分に言い聞かせるように言う。
目元に傷のある男は、ふたたび立ち上がる。小さな女の子の手をつなぐ。美しいヴァンパイアは女の子のもう片方の手をとる。行き場のない老女が低い声で古い古い子守唄をうたう。
かなしい結末を迎えると決まっていたとしても、まだその時ではない。
end
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