4 妖魔ハント(後)

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4 妖魔ハント(後)

 自分なりに定めた東エリア内を適当に歩いてカプセルをばらまいた後、俊太郎はいったんホテルに戻り、仮眠と軽い食事をとって、日が落ちてからまた外へ出た。  春とはいえ、夜はまだ肌寒かったが、妖魔を相手にしている以上、こればかりは仕方がない。これから朝までは、完全に気の抜けない時間帯となる。昼間のような失態は二度と許されない。  昼間歩いた道をなぞるようにして歩く。これを妖魔と出くわすまで、昼夜繰り返す。  妖魔ハンターの中には、街の各所に妖魔を感知するセンサーを仕掛ける者もいる。しかし、師匠に言わせると、そんなやり方は金がかかるだけで無駄でしかないという。  ――妖魔は逃げない。こっちが歩き回ってりゃ、遅かれ早かれ、向こうから必ず現れる。だから、妖魔ハンターは狩りの間、一般人にうろつき回られるのを毛嫌いするんだ。妖魔がハンターを襲わずに一般人を殺しちまったら、その分報酬が減らされるわけだからな。俊坊、おまえさんがハンターどもに嫌われたのは、そのせいでもある。  確かに、今の自分がそんな高校生に会ったら、怒りのあまり殴り倒したくなるだろう。妖魔が出ようが出まいが、夜それも真夜中を過ぎての外出は厳しく禁じられている。夜の街の中で動くものは、車と妖魔ハンターと妖魔――時に妖魔の犠牲者たちだ。  妖魔が出現するようになってから増設されたものの一つに、太陽電池を利用した街灯がある。俊太郎はなるべくその近くに例のカプセルを置くようにしていたので、懐中電灯を使わなくてもカプセルの状態を確認することができた。まだ十二時間経っていないため、カプセルは完全に溶けてはいなかったが、中のパウダーは露出していた。妖魔なら充分嗅ぎとれるはずだ。  ちなみに、犬はパウダーの臭いをかぐと、極度に怯えて二度とそこには近づかなくなる。そのため、犬の糞尿に悩まされている者の中には、犬を追い払う目的のためだけに、パウダーを入手して撒く者もいるそうだ。  ――今頃、他のハンターたちはどうしているのだろう。  警戒しつつ歩きながら、ふと俊太郎は思った。  あの三人のハンターたちの名前を師匠に告げると、彼は全員知っていて、簡単にそのプロフィールを教えてくれた。 『まず、山本亜紀。この女は自分を囮にして狩りをするタイプだ。女で若くてしかも美人。妖魔にとっちゃ最高の餌だろう。見かけだけはな。武器は拳銃。たぶん、特注品だろうな。どんな弾丸を使っているかは企業秘密。ただし、その弾丸を食らった妖魔はのたうち回って死ぬ。今回の被害者(ガイシャ)が若い女だろ? もしかしたら、この女がいちばんにその妖魔とかちあうかもな』 「師匠は山本さんに会ったことがあるんですか?」 『会ったっていうか、今回みたいに同時に雇われたことが三回ある。その三回とも先に妖魔をしとめられた。俊坊も運がないな。初仕事がそんな女と一緒だとは』  そんな仕事を自分に回したのはあんただろうと俊太郎は言い返しそうになったが、依頼人がハンターを複数雇っていたことは彼も知らなかったのだ。俊太郎はすんでのところでそれをこらえた。 『次に、田中譲治。おまえは頑固職人風だと言ったが、どっちかっていうと悪徳商人っぽいな。弟子が何人もいて、そいつらにパウダーを撒かせて妖魔を誘い出し、さんざん弱らせてから最後のトドメだけ自分で刺す。武器はクロスボウ。こいつとは二回会った。どっちも俺が妖魔にやられた弟子の介抱してる間に狩りやがった。弟子はよかったんだよなあ、弟子は』  何を思い出しているのか、感慨深げに語る師匠を無視して、俊太郎は自分が知りたかったことを訊ねた。 「俺は全然知らなかったんですけど、この二人って有名な妖魔ハンターなんですか?」 『まあ、有名っちゃ有名だが、俊坊は知らなくて当然だ。俺が教えなかったからな。でも、無理に覚える必要もねえぜ。いつ故人になるかわからねえからな』  相変わらず悪趣味なことを言う。だが、それが真実だった。無敵の妖魔ハンターでいるには、仕事を受けないのがいちばんだという笑えない冗談もあるくらいだ。 『で、最後に友部だが……こいつについては、前にも話したよな?』  俊太郎は複雑な思いを抱えながら、小さく〝はい〟と答えた。  友部は先の二人とは違い、妖魔ハンター協会には属していない。しかし、ハンターが十人以上犠牲になっても倒せない強大な妖魔や、一箇所に妖魔が大量に出現したときなど、特殊な事件が起こると決まって召集されているのだという。  そういう場合、彼以外に複数の妖魔ハンターが雇われている場合が常であり、彼らは友部が一緒に雇われていることがわかると一様に失望する。それはつまり、今回の狩りが困難なものであるということを意味しており、事実、妖魔がしとめられたとき生き残っているのは、友部とほんの一握りの妖魔ハンターだけなのである。ゆえに、妖魔ハンターの間では、友部は〝死神〟とすらあだ名されているという。 『おまえがあの男の幼なじみだって聞かされたときには、心底驚いたよ。顔だけはむちゃくちゃいいんだよなあ、顔だけは。でも、おまえにゃ悪いが、正直、関わりあいにはなりたくねえな。奴と一緒に仕事をしたのはたった一度だけだが、我ながらよく生き残ったもんだと思ったよ。もし、おまえがあの男の幼なじみでなかったら、そんな仕事はキャンセルしちまえと言ってたところだ』  この師匠と出会うまでは、友部がそれほど有名な妖魔ハンターだったとは知りもしなかった。  同業者にも恐れられるような男が、なぜ俊太郎の願いは叶えてくれなかったのか。  結局、それが俊太郎の友部に対するわだかまりの主因なのだった。  ***  住宅街の中にある街灯のそばで、道の向こう側から人が歩いてくるのが目に入ったとき、俊太郎は反射的に懐に手を入れた。だが、あちらは俊太郎より視力がよかったようだ。まだかなり距離があったにもかかわらず、甲高い声を上げた。 「あら、坊やじゃないの。こんばんは。調子はいかが?」  山本亜紀はそう言いながら、悠然と歩いてきた。 「あらら、坊や一人? 友部は一緒じゃないの?」  明らかに俊太郎一人しかいないとわかっているのにもかかわらず、亜紀はわざとらしく周囲を見回した。 「組んでいませんから」  多少むっとはしたが、相手は女でしかも年上――どのくらい上かは判然としないが――だ。俊太郎は表情には出さずに、最低限度の言葉を遣って答えた。 「組まなかったの? どうして?」  亜紀は驚いたように目を見張った。これは演技ではないようだ。 「どうしてって……組みたくなかったから」  自分でも子供のようなことを言っていると思ったが、今日会ったばかりの彼女に、友部に関する過去の因縁を話す気にはとてもなれない。 「馬鹿ねえ。あの男が誰かに組もうなんて言ったこと、いまだかつてないのよ。あの男の何が気に入らないわけ?」  何がと言えば、ただ一つ、三年前に自分の願いを聞いてくれなかったことだけだ。しかし、これもまた亜紀に説明しなければならない義理はない。 「別に……ただ、これが初めての仕事だから、自分一人でやりたかっただけです」 「へえ、これが初仕事? そういや、市役所で聞いたけど、坊やは松本の代わりに来たんだって? 松本とはいったいどういう関係なの? やっぱり――」 「弟子です」  亜紀に決定的一言を言われる前に、俊太郎は叫ぶように答えた。 「弟子? あの松本が?」  亜紀は信じられないように問い返した。師匠は三回しか一緒に仕事をしたことがないと言っていたが、彼女はその三回だけで、充分彼を理解したようである。 「弟子ねえ。そんな手間のかかること、とてもしそうには見えなかったけどねえ。……いつ、あいつに弟子入りしたの?」 「三年前です」  再び、亜紀の目が見開かれる。 「三年? そんな短期間で、もう坊やを独り立ちさせたの?」  亜紀が驚くのも無理はない。俊太郎自身も、師匠にもう独立してもいいんじゃないかと言われたときには、自分は何か彼を怒らせるようなことをしでかしてしまったのだろうかと不安になったくらいだ。  確かに、一日でも早く妖魔ハンターになって、両親を殺した妖魔を捜し出したいと思っていた。だが、師匠について妖魔を狩る日々も決して悪くはなかった。 「じゃあ、あれか。この仕事は独立祝いがわりに、坊やに譲ったわけか」  亜紀は自分一人で納得したようにうなずいた。かなり察しのいい女のようである。 「でもまさか、自分以外に三人もハンターが雇われてるなんて、夢にも思ってなかったんでしょうね。あたしもまったくの予想外だったわ。仲介した協会も何も言ってなかったしね。まだ一人しか犠牲者が出てなかったら、普通、ハンターは一人しか雇わないもんなのに。よっぽど予算に余裕があんのかしら、この地方自治体」 「そうですね。それは俺も不思議に思いました」  本当はこんなところで亜紀と立ち話などしていたくなかったのだが、人生でもハンターでも先輩をないがしろにするわけにもいかず、俊太郎は適当に話を合わせた。 「ハンターを多く雇えば、それだけ早く妖魔が狩れるってわけでもないのにね。これだから素人は困るわ」  亜紀は呆れたように笑うと、ふと背後を顧みた。 「あたしに惹かれてきたのかしら? それとも坊や?」    街灯の光の届かないぎりぎりのところに、それらはいた。 (複数!)  想定外だった。  いくつかの例外はあるものの、妖魔は単独行動を好む。ゆえに、まだ人間にとって抵抗の余地があるのだと言える。妖魔に徒党を組まれたら、並大抵の妖魔ハンターでは太刀打ちできないだろう。  しかし、数がどうあれ、妖魔と遭遇した妖魔ハンターがすべきことはたった一つだ。亜紀は自分の腰の後ろに手を回し、俊太郎は上着の懐に手を伸ばす。皮肉なことに、友部と組みたがった者と友部の誘いを拒んだ者とが組む形となってしまった。が、この場合は致し方ない。  妖魔が跳んだ。  一瞬、街灯の光に照らし出されたその姿は、しいて言うならイグアナによく似ていた。ただし、その大きさは人くらいあり、人のような顔を持っていた。亜紀が拳銃の引金を引く前に、俊太郎はその妖魔に向かって鉄串を放った。  妖魔といえども、目や口を攻撃されれば、痛がりもするし怯みもする。問題は、妖魔が自分を襲う前に、そこへ打ちこめるかどうかなのだ。  〝速度は俺よりやや落ちるが正確さでは俺以上〟と師匠に評された俊太郎の鉄串は、その妖魔の口腔内をまっすぐに射抜いた。その直後に、亜紀の放った弾丸がその妖魔の胴体をえぐる。銃身の長い銀色の自動拳銃だったが、亜紀はその反動をものともしなかった。  その銃声が合図になったかのように、他の妖魔たちもいっせいに襲いかかってくる。俊太郎は何も考えず、妖魔の急所だけを次々と射た。動きが止まったところを亜紀が拳銃でとどめを刺す。いつのまにか、そのような役割分担になっていた。  普通、妖魔は拳銃で撃たれたくらいで死にはしない。妖魔の真の恐ろしさは頑強さではなく、驚異的な再生能力にある。そのため、ある妖魔ハンターは爆薬で、またある妖魔ハンターはライフルで、再生ができなくなるまで妖魔の肉体を徹底的に破壊する。  だが、亜紀の場合、弾丸一発を食らわせただけで妖魔はその場でくずおれ、しばらくのたうち回ってから死んでいくのだ。これほどあっけなく妖魔を倒す妖魔ハンター――それも女――など、俊太郎は初めて見た。師匠でさえ、たった一本の鉄串で妖魔をしとめられたことはない。  妖魔たちはすべて、最初の一体と同じイグアナ系だった。すでにもう五体以上しとめているが、彼らはまったく動じることなく、後から後から襲いかかってくる。 (妙だな)  機械的に鉄串を打ちこみながら、俊太郎は眉をひそめた。師匠について修業していたとき、今回のように複数の妖魔に襲撃されたこともあったが、彼らは仲間が何頭か殺されると、すぐに逃げ去っていった。  この妖魔たちは、特別仲間意識が強いのだろうか? 俊太郎には、まるで彼らが何者かに操られて自分たちを襲っているように思えた。 「まったく、しつこいわね」  亜紀が小さく舌打ちするのが聞こえた。そういえば、亜紀の拳銃は何連発式なのだろう? まだ一度もマガジン交換をしていない。  そのときだった。  ヒュッと風を切る音がしたかと思うと、すでに事切れて道路に倒れていた妖魔の体に、深々と太い矢が突き刺さった。 「俺の獲物を横取りするな!」  もしかしたら、亜紀の銃声よりも大きな老人のがなり声が、静まり返った住宅街の空気を震わせた。  妖魔ハンターが妖魔ハントをしている間は、たとえ銃声が何発聞こえようが、老人が怒声を上げていようが、住民は外に様子を見にいったりしてはいけない。もしそれを破った住民が妖魔に殺された場合には、妖魔ハンターは責任を負わなくてもいい――つまり、報酬を減らされないことになっている。 「ハイエナじじいのご登場よ。きっとあたしたちがあらかた倒すまで、近くで様子をうかがってたんだわ」  亜紀が嘲笑しながら引金を引いたとき、そこにもう息のある妖魔は一頭もいなかった。   「俺たちが誘い出した獲物を勝手に狩りやがって。恥を知れ、恥を」  対妖魔用の特別製のクロスボウを持った小柄な老人――田中譲治は、背後に弟子らしき八人の男を引き連れて、俊太郎たちのほうに向かって歩いてきた。  その間に、亜紀は拳銃を再び腰の後ろ――そこにホルスターがあるらしい――に戻して、西洋人風に両手を広げ、俊太郎は対応に困って、そのまま立ちつくしていた。 「こんばんは、田中さん。でも、ここに倒れてる十二頭、しとめたのは全部あたしとこの坊やよ。妖魔を狩ったって主張できるのは、どう考えたってあたしたちのほうじゃないかしら? ――坊や、早くしないと妖魔が完全に砂状分解しちゃうわ。『妖魔課』にDNA鑑定させなきゃなんないから、坊やの鉄串、十二頭分回収しておいて」 「は、はい」  有無を言わさぬ亜紀の迫力に圧され、俊太郎はこういうときのために所持しているビニール袋の束を懐から取り出すと、彼女の言うとおり、すでに崩れかけている妖魔たちから自分の鉄串を回収して、十二頭別にビニール袋の中に入れた。   「それじゃ、今から『妖魔課』呼ぶわ。獲物を横取りした覚えはないけど、よかったらこの妖魔の死体、全部さしあげるわよ。あれだけ大盤振る舞いしてたら、パウダーいくらあっても足りないでしょ?」 「貴様!」  田中は忌々しげに亜紀を睨みつけたが、彼女はまったく鼻にもかけない。さすが、あの師匠に一目置かせるだけのことはある。 (そうか。あの〝盛塩〟はこの人のだったのか)  俊太郎はいかにもこの老人らしいと納得すると同時に、なぜ亜紀が彼を〝ハイエナ〟と揶揄したのかを理解した。 「おい、小僧」  亜紀が自分の携帯電話で「妖魔課」に電話している間に、田中が不愉快そうに俊太郎に声をかけてきた。 (坊やだの、小僧だの……誰も俺の名前をまともに呼ばないな)  聞こえなかったふりをしたかったが、一応先輩だ。俊太郎は平静を装って〝はい〟と応じた。 「小僧。おまえ、その女と組んだのか?」 「いえ。たまたま立ち話をしているときに妖魔が現れただけで、別に組んだわけじゃありません」 「そのわりには、ずいぶん息が合ってたな。男だけでなく女もいけるのか?」  田中は下卑た笑みを浮かべたが、まったく意味のわからなかった俊太郎は、眉をひそめて首をかしげた。 「はあ……?」 「まだこの妖魔どもが〝犯人〟と決まったわけじゃねえ。松本の弟子だか稚児だか知らねえが、今後、俺の邪魔だけはするな。妖魔狩りは遊びじゃねえんだ」 「……わかっています」  怒鳴り返したいのを、俊太郎は必死でこらえた。  自分のためではない。師匠のためだ。他はどうだか知らないが、師匠は真実、弟子として俊太郎を扱ってくれた。しかし、今それをこの老人に説明したところで、聞く耳を持ってはくれないだろう。 「どうだかな」  田中は鼻で笑うと、彼と同型のクロスボウを背負った弟子たちを引き連れて、妖魔の死体の山に向かって歩き出した。その弟子たちも師匠と同じように蔑むような視線を俊太郎に投げつけてきたが、何人かはばつが悪そうに軽く会釈した。  もしかしたら、あの中に、師匠の気に入った弟子もいるのだろうか。  でも、三年近く一緒にいても、俊太郎には師匠の好みはよくわからなかった。俊太郎はすぐに考えることをやめた。 「ビンゴだったらいいんだけど」  携帯電話を切った後、亜紀がそう言って嘆息した。  俊太郎と亜紀の背後では、もうほとんど砂と化している妖魔たちのなれの果てを、田中の弟子たちが慣れた手つきで瓶詰めにし、専用のスーツケースに収めていた。
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