6/16
前へ
/299ページ
次へ
話の途中で、尚人はとつぜん自覚した。自分がやけに、海の泳ぎに慣れているということを。 ――俺、海で泳いだことあった。それも、一度や二度じゃなくて―― 「俺の父親が白浜出身だったから――あ、静岡のほうの。だから小さいころ、夏はよく白浜の海水浴場に行って泳いでたんだ」 今の今まで、すっかり忘れていた。尚人は意識して笑顔を作った。思い出がいとも簡単に消えていっている。尚人は毎年、白浜の祖父母の家に行くのが楽しみだった。海で兄や父と一緒に泳ぐのも。大事な思い出だったはずなのに、綺麗さっぱり、忘れていた。 ――俺の思い出には、顔がないから。 楽しいことがあっても、「誰と」楽しかったのか、が抜け落ちている。思い出せなくなる。悲しいことも同様にすぐに薄れていくから、トントンなのだろうか。 「そうなんだ。あとで私にも泳ぎを見せてくれる? 私泳ぐの苦手だから、参考にさせてほしいな」 なんとも、自尊心をくすぐる申し出だ。 「いいよ、もちろん。あの、名前を教えてくれる?」 相手の名前を知っていないと、話しにくい。 「え? 覚えてないの? ちょっとショックだなあ。一か月前の飲み会でしゃべったのに。花南だよ、花南」     
/299ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2062人が本棚に入れています
本棚に追加