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話の途中で、尚人はとつぜん自覚した。自分がやけに、海の泳ぎに慣れているということを。
――俺、海で泳いだことあった。それも、一度や二度じゃなくて――
「俺の父親が白浜出身だったから――あ、静岡のほうの。だから小さいころ、夏はよく白浜の海水浴場に行って泳いでたんだ」
今の今まで、すっかり忘れていた。尚人は意識して笑顔を作った。思い出がいとも簡単に消えていっている。尚人は毎年、白浜の祖父母の家に行くのが楽しみだった。海で兄や父と一緒に泳ぐのも。大事な思い出だったはずなのに、綺麗さっぱり、忘れていた。
――俺の思い出には、顔がないから。
楽しいことがあっても、「誰と」楽しかったのか、が抜け落ちている。思い出せなくなる。悲しいことも同様にすぐに薄れていくから、トントンなのだろうか。
「そうなんだ。あとで私にも泳ぎを見せてくれる? 私泳ぐの苦手だから、参考にさせてほしいな」
なんとも、自尊心をくすぐる申し出だ。
「いいよ、もちろん。あの、名前を教えてくれる?」
相手の名前を知っていないと、話しにくい。
「え? 覚えてないの? ちょっとショックだなあ。一か月前の飲み会でしゃべったのに。花南だよ、花南」
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