第3章

10/17
前へ
/100ページ
次へ
「まだ気ぃ抜くなよ。客だったからと言って不倫相手じゃないとは言い切れない」  俺の心情を見透かしたみたいに、椹木さんは俺の額を指で突いた。 「それじゃあ対象者たちが出てきたあとのことを説明するぞ」  雑居ビルからは見えない建物の陰まで一旦移動すると、椹木さんはそう切り出した。  もしも二人がこのまま同行するなら俺たちも尾行を続行。別れた場合は椹木さんが女性を追い、俺が対象者を追う。ここへ来てまさかの単独行動を命じられ、俺は焦った。 「そのカッコのお前が連れの女性を追った方が都合がいいんだけどな。俺だと入れない場所もあるから」  その話も先日に読んだ探偵入門書に載っていた覚えがある。女性専用車両や公共トイレ、他にも化粧品売り場など異性だと入れない、悪目立ちしてしまう場所は結構多く存在する。 「こんな格好してるからって、そんなの俺だって入れませんから!」 「ははは、まあそうだよな」  勘弁してくれと訴えると、椹木さんは愉しそうに笑う。 「マル対の行き先は大体予測がつく。住所も割れてるから追いやすい。距離感さえ間違えなければまず大丈夫だ」  万が一対象者が予想外の行動……他の相手と落ち合うような場面に出くわしてしまった場合、無理に証拠を押さえようとするな、見つかりそうだと思ったら追うな、何かあったら連絡を入れろ。椹木さんはそれらを俺に念押しした。 「足、まだ歩きにくいか?」  労わるように顔を覗き込まれて、俺は視線を逸らせた。眼前に椹木さんの顔が迫ると、つい先ほど起こったばかりの出来事を思い出してしまう。非常に気まずい。 「平気……だいぶ慣れた」 「よし」  ぽんと頭を叩かれる。その感触が俺を鼓舞する。命じられて仕方なしに同行したのに、いつの間にか『やらなくては』というような使命感が芽生えていた。  対象者たちはビルから出てくるとそのまま駅へと戻り、その場で別れた。改札へ消えていく女性を椹木さんが追い、どうやら店に戻るらしい対象者を俺が追う。 「ナンパに気をつけろよ。お前可愛いんだから」  別れ際に耳打ちされ、俺は肩を竦ませた。  別行動になってからも椹木さんの吐息の感触が離れず、落ち着かなかったけど、俺はどうにか与えられた任務を遂行することができた。
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!

851人が本棚に入れています
本棚に追加