第4章

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「どこかに寄るみたいだな」  対象者の背を見つめながら、椹木さんが呟く。山本は裏路地に入ると、一軒の店の前で足を止めた。完全に店の中に入ったのを確認してから、俺たちもそこへ近づく。 「飲み屋か……キレイな姉ちゃんのいる店じゃなさそうだな」 「【Bar棲拠】……渋いですね」 「いいか、深見。今からここに入る」 「えっ」 「外観から察するに店の規模はかなり小さい……多分カウンターしかないだろうな。対象者の至近距離につくことになるだろうが普通にしてろ」  椹木さんは静かに言いおくと、年季の入った木製のドアを引いた。中は予想通り十席ほどのコの字型のカウンターがあるだけの小さな店だった。席は半分くらいが埋まっている。店内にはジャズが流れ、カウンター内には黒いシャツを着た初老のマスター。 「お二人様ですか?」  落ち着いた声の問い掛けに椹木さんが返事をすると、マスターは笑顔で奥の席を勧めてくれた。……なんと対象者の真隣りだった。焦るなよ、と言うように椹木さんが自然に俺の腰を抱いて席へと移動する。俺を壁際に座らせて、椹木さんは山本の隣に座った。 「マッカランと……スプモーニでよかったっけ?」  席につくと椹木さんに訊ねられる。俺はスプモーニがどんなお酒だったか思い出せなかったが、とりあえず「うん」と答えた。なるべく高めの小さな声で。  俺たちの注文を聞いたあと、マスターは山本の前へグラスと小皿を置いた。ナッツとウイスキーのようだ。 「そういや、旅行だけどさ。どこ行きたいか決まった?」  他の客の邪魔にならない程度の抑えた声で椹木さんが会話を投げかけてくる。もちろんそんな予定はないが、そういう設定なのだろう。俺は「えー」とか「うーん」とか唸って、迷っている素振りを見せた。そんな調子で俺たちの注文の品が運ばれてきてからも、架空の旅行の計画話を繰り広げる。しばらくすると、椹木さんとは反対側の対象者の隣辺りに座っていた中年の男が席を立った。客は俺たちを入れても五人になり、店が静かになる。俺の向こう側には年配の夫婦連れ。こちら同様に抑えた声で会話をしている様子だ。
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