第4章

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「……子供がな、欲しかったんだよ。俺の元嫁さんは」  穏やかに切り出された言葉に、自分の「え」という掠れた声が静かな商店街に落ちる。 「だけど生まれつき赤ん坊ができにくい体質だったから、病院に通ってどうにかしようとしてた。でも思うようにはいかなくてな。嫁さんはそのことに身体と、特に心が疲弊していった。俺はそれが見ていられなかった。俺も少し疲れちまってたのかもしれねえな。だから、もういいんじゃないかって言っちまったんだ」  わずかな後悔を滲ませた椹木さんの微笑に、少し苦い気持ちになった。 「俺だって子供が欲しくないわけじゃなかったが、こればっかりは仕方のないことだ。いないならいないなりに、今あるこの生活を大事に生きてこうって提案した。けど相手はそれが受け入れられなかった……いや、今までの自分を否定されたように感じたんだ」  俺の知らない、椹木さんの過去。聞いていると胸が締め付けられるように痛いのはどうしてだろう。苦しいような、悔しいような感情がわいてくるのはなぜだろう。 「最後は互いに嫌いになったわけじゃねえけど、だからこそもう離れた方がいいんだって結論を出した。まあ、正解だったな」  それを『正解』だと言えるまでが簡単じゃなかったことくらい、俺にもわかった。 「事務所……独立したこと、何か関係あるんですか?」  椹木さんは以前、離婚したのは事務所を始める少し前だと言っていたような記憶がある。 「なんだ深見。お前結構鋭いな。この仕事向いてるんじゃねえか、名探偵」  椹木さんはそう言って茶化したけど、数秒間を置いてちゃんと答えてくれた。 「離婚して一人暮らしの物件探してる時に今の事務所見つけてな。ちょうどいいから始めるかってよ」  そんなノリで……と俺がツッコミを入れる前に、椹木さんは続ける。
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