第5章

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「なんだなんだ、朝っぱらからそんな可愛い子ナンパして」  その時、すぐ後ろに人の気配がしたと同時に声が聞こえる。 「っ、椹木さん!」  振り向くとスウェット姿でコンビニの袋をさげた椹木さんが立っていた。 「違いますから!」  慌てて否定をして逃げるように階段を駆け上がった。  よりによってあんな場面を椹木さんに見られるとは不覚だ。当然俺のキョドり具合や調子はずれな会話の一部始終を見ていたに違いなかった。……さすがに本気でナンパをしていたとは思われていないだろうけど。  数日前の夜。いつも飄々として本心が見えない椹木さんの内側を、少しだけ知ることができた。そんなことがやたらと嬉しくて、俺は舞い上がってるのかもしれない。 『一人でいるのは楽だけど、やっぱり一人は寂しい』  今まで考えないようにして、絶対認めたくなかった自分の本心も、この人のせいで認めざるを得なくなった。……だからだろうか、もう少しだけ外の世界に目を向けてみようと、人と関わる努力をしてみようと思ったのだ。  事務所のデスクに着席すると、PCの電源を入れて澄ました顔を作った。ゆっくりと階段を上がってきたらしい椹木さんは、遅れて入室してきた。俺を見て微かに笑った気配がしたが、特に追及はされなかった。代わりに、思い出したように俺に告げる。 「お、そうだ。今日俺、人と会う用事があってちょっと出るから、留守頼むな」 「え」  俺の反応に、椹木さんはニヤリと口角を上げる。 「なんだ、俺がいないと寂しいか?」 「……そんな訳ないでしょ」 「はは、お前はそういう可愛くないところが可愛いな」 「……わけわかんないこと言うな」  動揺を見抜かれなように、PCのモニターから顔を上げないまま素っ気なく言った。……それでも椹木さんのニマニマした顔が想像できて……なんかムカついた。  数十分後、外用のこざっぱりとした格好になった男は、夕方には帰ると言い置いて事務所を出ていった。
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