第1章

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「そういや試験終わったのか深見」  声に振り向くと、奥の部屋から椹木さんが再び顔を出したところだった。スウエットの下を履き、全裸男から半裸男にクラスチェンジしている。 「はあ。昨日までですけど」 「つーことはあれか。今日から心踊る夏休みってやつだな!」 「別に踊りはしません」 「なんだよテンション低いな。海やら花火やら若者にはウッキウキの季節だろうが」 「そういうの興味ないんで」  某童謡の雪に喜んで庭を駆け回る犬みたく、若者が誰しもサンサンとふりそそぐ太陽にアゲアゲウェーイで砂浜を走り回ると思ってもらっては困る。 「そもそも夏なんて好きじゃないです」 「なんでだよ」 「なんでって……」  口ごもると、椹木さんは訝しげな表情を浮かべた。 「……暑いだけだし」  俺の答えに、椹木さんは「ふーん」と子供っぽい返事をする。どこか含みのある口ぶりに『なんか文句あるのか』と食いつきたくなったけれど、逆に追及されても困るので思いとどまった。 「俺も夏はそんなに得意じゃねえなあ……」 「……え」  一瞬、椹木さんが……なんというか遠くを見るような顔をするものだから、俺は思わずドキっとしてしまう。見慣れないというか、不似合いというか。だけどそれが幻だったかのように、すぐにいつも通りの笑顔を見せた。 「ウチ、エアコンの効き悪ぃしよ。まあ、アッチィ中でキーンと冷えたビールをゴクゴクっと飲むのはたまんねえけどな」  椹木さんはエアジョッキグラスを飲むジェスチャーをする。 「ビール飲むのはせめて働いてからにしてください」  呆れたような声を出して、俺はグラスを椹木さんへと突き出した。こっちは本物のグラスだが、中身はもちろんビールではなくコーヒーだ。椹木さんは「サンキュ」と言って受け取り、それを一気に飲み干す。 「かーっ、やっぱ深見が淹れた方がうめえわ」 「気のせいです。それか椹木さんの分量が適当すぎるかです」 「褒めてんだから、素直に受け取っとけっつーの。可愛くねえなあ」 「いや、別に可愛くなくて結構です」  俺は椹木さんから視線を逸らすと、素っ気なく返した。
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