第5章

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「だけど最近はお役御免な気がしてたしな。それにお前も知っての通り、ウチには充分な給料払ってやれる余裕がねえんだよ」  お金なんていらない。咄嗟にそれを口にしかけて、焦ったように唇を引き結んだ。  何をどう言ったところで、この人は俺を切り離そうとしている。そのことがとにかくショックで、深く考えたくなくて……俺はいつも通りの自分に徹した。 「わかりました」  椹木さんから離れると自分の机に戻って荷物をまとめ始める。 「まあ、俺は厄介事から解放されてせいせいしますけど」  ノートPCをトートバッグに突っ込み、あとは筆記用具などの細々としたものも適当に放り込む。一分も掛からない。すべてをトートバックに入れ終えたあと、ゆっくりと椹木さんを見た。 「でも、椹木さんは……寂しくないんですか」  一人は寂しいと、呟いた声がよみがえる。  椹木さんが微かに笑った気がした。 「んー……そうだな。寂しいよ」  言葉とは裏腹に、その口調は軽い、とても。 「だからって前途ある若者をいつまでもこんな寂れた事務所に縛り付けとくわけにはいかねえだろ」  俺の意見も聞こうとせず、そんな風に簡単に割り切る椹木さんにカッと胃の奥が熱くなる。  確かに俺は若者で、この人はオッサンだろう。だけどあの夜、『寂しい』と言ったこの人と、同じ風に思っていた俺の間に、線引きするようなものは何もないと思えたのに。 俺の為、みたいな口調で俺を突き放しに掛かる男にムカついて仕方なかった。俺が今どんな気持ちでいるかなんて、少しも理解していないくせに。 「じゃあ、お世話になりました。一応」  視線を外して、顔を見ないでそう言って扉へ向かった。ドアノブに手を掛けた時、背後から声が掛かった。 「お前はもう大丈夫だろ。それでそのうち、きっと出会う。背負うべき相手に。……多分俺もな」  俺はその言葉に返事をせず、椹木さんの声を掻き消すように、ダンボールで応急処置が施された扉を強く閉めたのだった。
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