第6章

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 すごく嫌な予感がして、俺は突っ伏していた身体を起こした。  椹木さんはああ見えても武道の有段者だ。もしも襲われても、きっと大丈夫なはずだ。だけど夜道で待ち伏せされて、不意をつかれたとしたら。  十秒くらい考えて、俺はデスクの上のバッグに飛びつきスマホを取り出した。  しかし、椹木さんに電話を掛けても、機械的な女性の声で『電波の届かない』、『電源が入っていない』云々と言われただけだった。 「あー、もうっ!」  俺は結局、我慢できずに家を飛び出した。  俺の単なる思い過ごしなら、滑稽なことこの上ない。『椹木さんから解放されてせいせいする』とタンカきって事務所を出て行った数時間後に、必死の形相で駆けつけて。  だけど……もしも椹木さんに何かあったらと思うと、いても立ってもいられない。  大通りまで全力疾走してタクシーを拾う。あまりにゼーハー言ってるからか、運転手が何事かと二度見した。俺はそれに気付かないふりをして事務所の最寄駅を告げる。 「できるだけ急いでください」  流れる車窓を見つめながら、嫌な想像ばかりが浮かんでくる。  自分の好きな相手が、他の人のものになるのは嫌だ。見たくもない。そんな奴どこかへ消えて欲しい。だけどどれだけ願ってもそうはならなくて、それどころか相手の心は遠ざかるばかりで……。だったらその原因を自分の手で消し去ってしまえばいい。しかもそれを相手の目の前でやることによって、自分の想いがこれほどまでに強いのだと見せ付けられる。……森下がそんな風に考えてもおかしくないと思った。 「お釣りいりません」  小銭を受け取る時間もおしくて、俺は急いでタクシーを降りた。ダッシュで事務所の階段を駆け上がって、数時間前に乱暴に閉めた扉を叩く。
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