第1章

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 依頼主……現状はまだ相談希望者である山本美幸は、午後一時に事務所を訪れた。俺より四、五歳程上に見える今時の綺麗な女性だった。大抵の依頼主は探偵事務所に足を運ぶことを嫌がるので、喫茶店などで面談することが多いらしいのだが、彼女は事務所を希望した。午前中にしっかり掃除を行ったのだが、狭ぜまとした雰囲気はどうしようもできない。儲かっていないことがモロバレの有様だろう。事務所に入るなり、彼女は不安げに室内を見回した。 「どうぞ、お掛けになってください。狭いところで申しわけない」  彼女の不安を解きほぐすように、椹木さんがにっこりと微笑んでソファを勧める。ボサボサだった髪はきちんとセットされ、無精髭も綺麗さっぱり剃られている。何より長身を覆うスーツが『できる男』を演出していて、ビフォー状態を知る者としては詐欺かと思うほど見違えている。そんな魔法のようなアフター版の椹木さんに促され、彼女は着席した。  大きい事務所ともなると、実際に調査を行う調査員、依頼主から相談を受ける相談員がそれぞれ存在するものらしいが、ここではすべて椹木さんが一人でこなしているそうだ。名刺を差し出し、当たり障りのない話を振ったあと、椹木さんは本題を切り出した。 「それで、調査して欲しいことがあるとうかがいましたが、どういったものでしょうか?」  山本さんは一度息を吸い込むと、暗い表情を浮かべて静かに切り出した。 「結婚二年目になる主人が、浮気をしているようなんです」  打ち明けられた言葉に、椹木さんは山本さんに倣って表情を曇らせた。俺はといえば、コーヒーを出したあとは自分用のデスクで持ち込んだノートPCを広げる。それでも狭い部屋での会話は、嫌でも耳に入ってくる。  不動産会社で働く夫を、山本さんは専業主婦として支えているという。二人の間に子供はおらず、かなりの年齢差があることを彼女は手短に話した。
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