第1章

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「山本さんがそう思われた切っかけなどはございますか?」 「以前から週の半分ほどは主人の帰宅が遅かったんです。そんな矢先……先週だったでしょうか、彼が突然離婚を申し出てきました」  山本さん曰く、関係は良好とはいえないが、離婚にまで至るような要因は見当たらないそうだ。他に相手ができたのだと確信した山本さんは旦那を問い詰めた。しかし旦那は、『浮気はしていない。ただ気持ちが冷めただけだ』と話したという。 「絶対してるわ。おかしいじゃない、何もないのにどうして急にそんな話が出るのよ」  山本さんの声が感情的になる。 「心中お察しします」  落ち着いた声が山本さんを宥めた。 「気持ちが冷めたなんてただの方便だわ。慰謝料を支払いたくないだけよ」  口を開く度に山本さんの怒りは増していくようだった。彼女がこれだけ確信を持っているのなら、実際に相手は浮気をしているのだろう。そういうことに関して、女性は鋭いと聞く。こんな美人な妻がいるのに他の女に走る男もいるのかと信じられない気持ちになった。 「あの人が言い逃れできない浮気の証拠を掴んで欲しいんです」  彼女がきっぱりそう言った時、不意に振動音が響く。それが気になって見ると、どうやら発生源はガラスのテーブルの上に置いてあった彼女のスマホのようだった。 「わかりました。ご依頼、お受けさせていただきます」  椹木さんのその声を聞き、俺は契約書の準備を始めた。とは言っても、あらかじめテキストファイルでひな形を作ってあるので、プリントアウトすればいいだけも同然だ。テーブルでは具体的な調査方法や金額の話に移っている。 「深見」  しばらくすると、椹木さんの声が俺を呼ぶ。普段とは違って、威厳のある声音に思わずどきりとしてしまった。その声を合図に、俺は用意していた書類を手にテーブルへ向かった。
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