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「何度もすまん」
「阿部……か、どうした?」
もしかしたら、と深雪の抱いた淡い期待は消えた。
再び訪れた知人の姿に、乱れていた感情を取り繕い、笑顔を見せる。
「これを」
差し出されたのは、花束。
「あ、有り難う」
「伊吹から、お前に。渡しそびれたらしくて。俺が代わりに」
「そう。代わりに……か」
手渡された花を見て、深雪は唇を噛んだ。
(祝いと言うのなら、これさえも、一人で持って来てもくれないのか!?)
阿部を羨んで仕方がない。
(忘れたのか?伊吹! この城は、俺とお前の夢だったのに)
綺麗な花を見ても、深雪の心静まらない。
「伊吹が自分でアレンジメントしてた。それ」
「いぶき、って……」
「深雪、前から思ってたんだけど、いつもそんな顔するよな? 俺が、伊吹って呼ぶと」
突然問いただされ驚き、阿部の顔を見ると、商売人の愛想のいい顔は失せ、いつになく真剣な表情で深雪は驚いた。
言われた事は、図星だ。
「だって、アイツはもう、伊吹じゃないだろ? この世界から足を洗ってる。
俺……達にとっちゃ、ずっと 伊吹 だけど、お前にとっては伊吹 じゃない筈だ。アイツには堅気の本名がある。それなのに」
指摘された通り、ずっと苛ついていた。阿部まで、まだ源氏名の伊吹と呼ぶ度に。
「そういう事、か。ずっと気になってたから、聞いて良かった。それなら、俺もこれから、多分一生アイツの事を伊吹と呼ぶ」
阿部の言葉を聞き、花束を持つ手が、知らぬ間に力が入りギリギリと音を立てた。
美しい顔を嫉妬に歪ませた深雪とは反対に、阿部は真面目な顔から笑みを零している。
「こっちの世界にあの子が来た時、話したんだ。『内緒にしててくれ』って頼まれてたんだが……『一生、いぶきとして生きるつもりだから、いぶきのままで呼んで下さい』って」
「ど……ういう、ことだ?」
「源氏名。呼び名も、何年か使い続ければ、本名に出来るらしい。アイツ、改名 するって。本名も”いぶき”に。
『俺が生まれ変われた時に、かけがえの無い人に付けた貰った名前だから、俺の名前はいぶきだけです』って」
「……」
花束が深雪の手から滑り落ち、机に横たわった。
「あ、でも漢字は変えるって言ってたな……悪い、忙しい所。長居した。じゃあ、また」
阿部は片手を挙げ、部屋から姿を消した。
挨拶も何も、阿部の話の途中から言葉一言返せず、阿部が去った後も、深雪は呆然と立ち尽くしていた。
力なく項垂れた視線の下には、伊吹が作ってくれた花束と
何処かにささっていたのか、飛び出し零れ落ちている一枚の紙片。
花束を貰った時には気付かなかったカードに手を伸ばす。
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美雪へ
夢、おめでとう。
息吹より
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深雪はカードを握りしめ
なりふり構わず、部屋を飛び出し、駆けていた。あらん限りの声を上げ。
「いぶきーーー!!」
-おしまい-
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