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不意に背後から声を掛けられて振り返ると、そこには見るからに“エリート”という雰囲気の男性が立っていた。
一目で仕立てのいい物だと分かるスーツは、長身で無駄のない体にぴったりとフィットし、ネクタイもスーツのカラーに合わせた柄物でセンスがいい。それに、手にしているブリーフケースもまた一流ブランド物だ。
素早く周囲を見回して他に空席がなかったのかと確認してみるが、混み合って来た店内には見つけることが出来なかった。沙月は彼に気付かれないように小さく吐息した。
「はい。どうぞ……」
最初からそこにいた沙月が恐縮するのはおかしなことだったが、自分の荷物を膝に乗せて小声で応えた。
彼は片手に持っていたトレーを置き、長い脚を無駄なく運んでスツールに腰掛けた。
即座にブリーフケースから取り出したタブレットをスクロールし始める。液晶画面の上を滑るように動く長い指先を、まるで何かに吸い寄せられるように見つめていると、その視線に気づいたのか彼は沙月の方を向いた。
「――何か?」
「あ、いえ……。すみません」
気恥ずかしさにすぐに視線を逸らし、わずかに頭を下げながら手元のスマートフォンに目を向けた。
彼が纏う甘いコロンの香りにいろいろな想像を掻き立てられる。
緩くウェーブのかかった黒い髪は襟足を少しだけ残している。くっきり二重瞼の奥の瞳は一見芯を持っているように見えて他者に感情を見せないミステリアスな部分を秘めている。
そして、何よりも目を引くのは端正な顔立ちだ。整えられた眉、高い鼻梁、薄い唇は知性を感じる。
同性である沙月が見ても見惚れてしまうほどの容姿は、恐らく女性には一生困らないだろうと思える。
身長も一八〇センチ以上はあるだろうか、スーツを着ていても分かる引き締まった体躯は、小柄で華奢な自分とは比べ物にならない。
なぜか早鐘を打ち始める心臓を手でぐっと押さえ、コーヒーで渇いた喉を湿らせた。
「――あの……。少しお話をさせていただいても?」
「え……?」
それが自分に向けられた言葉だと気付くのにほんの少し時間がかかった。
隣に座る彼はじっと沙月を見つめ、その返事を待っている。
「すみません、突然。何かの勧誘じゃないかって思いますよね?警戒するのも分かります」
緊張で引き攣った沙月の顔を見て彼はそう解釈したようだ。本当は、同性である彼にときめいていたなんて口が裂けても言えない。
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