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「辞める?何かあったんですか?」 沙月は入社してからつい数時間前までのことを全部ぶちまけた。 誰かに聞いてほしい……でも話す相手はいない。 今まで抑え込んできたストレスが堰を切ったように一気に溢れ出し、気が付けばもう止めることは出来なくなっていた。 その口火を切らしたのは間違いなく一条の出現だった。 カウンターから見える通りの景色はすっかり暗くなり、ネオンと車のブレーキランプが瞬いている。 帰宅ラッシュ時間帯ともあり、道路は信号が変わるたびに渋滞を繰り返している。 飲みかけのアイスコーヒーの氷はすっかり溶け、薄くなったコーヒーが手もつけられないまま置かれている。 一条はただ黙って話を聞いている。その表情は真剣で集中力が途切れることはなかった。 どのくらいの時間が経ったのか定かではなかった。沙月がすべてを話し終え、大きなため息と共に体の力を抜いた。 渇いた喉を潤そうとグラスに口をつけるが解けた氷が上澄みのようになっており、お世辞でも美味しいとはいえなくなっていた。 「新しいコーヒーを買ってきます」 有無を言わせない勢いと、無駄のない動きでサービスカウンターへ向かう一条の背中を見ながら、ボサボサになった栗色の髪をかきあげた。 生まれつき色素が薄いせいで、染めてもいないのに茶色い髪もまた、沙月にとっては攻撃の対象にされていた。 トレーに新しいアイスコーヒーのグラスを載せて戻ってきた一条に礼を言い、スツールに腰掛ける彼を見るともなく見つめた。 「すみません……。愚痴、聞いてもらったみたいで」 「いいんですよ。それであなたが少しでも楽になれば……。それにしても酷い会社ですね。おそらく噂になっているほどの企業であれば、当社のブラックリストには登録されているはずですから調べてみますよ。あなたの精神的な苦痛を考えれば、早めに対応した方がいいかもしれないですね。その会社に未練があるのならば話は別ですが……」 「ありませんよ……」  吐き捨てるように応えて、沙月はアイスコーヒーを口元に運んだ。 「――あの、ひとつ相談があるんですが」 一条は片方の眉をわずかにあげて何かを思い立ち、沙月を覗き込むようにして身を乗り出した。 ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。 先程から彼が身じろぐたびに香っている香水。甘めではあるが嫌悪感は全くない。 むしろ心地良ささえ感じる。
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